一億強からの国民すべてを母数とすると、あまりにも母数が大きいので
高度にセグメンテーション化された集団である高校を例に挙げて話すと
ただ、学歴の話ではないよ、あくまでも統計上の母数集団として
輪切りというセグメンテーション化された比較的バラつきのない集団の中ではあるが
普通に授業を聴き、課題や提出物も不備なく、特段、努力をするわけではないが
与えられたミッション程度は消化していたら普通に大学に進学できた。
ところが、その真逆で授業には出ず、課題や提出物も同義で過ごしていたら恐らくは
志望校はおろか滑り止めさえも落ちただろう。
この後者をして”自己責任”と言わずして何と言う? 運が悪かったとでも?
前述のとおり、学歴にフォーカスした話ではない。
が、これを社会全体に広げると同義の”自己責任”がある、というより寧ろない方がおかしい。
家庭環境や、当人の資質に性質等々、社会全体に広げると枚挙に暇がない要因、要素が介在するが
生産労働力人口の3割近い数が、スクリーニング要因によって形成されているとは到底思えない。
前出の例で言えば、
普通に授業を聴き、課題や提出物も不備なく、特段、努力をするわけではないが与えられたミッション
程度は消化して来た人達が自己の責任、瑕疵以外の要因で、30%近い「普通に稼げていない人達」を
形成している思うか? なんらの瑕疵もなく、なんらの自己責任もなく・・
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