人に優しくする機会にも、される機会にも恵まれなかった者は、
結局、自分で自分に優しくすることばかりに執心し始める。
自分が優しくされて嬉しい所は、自分が一番よく知っているから、
ある程度軌道に乗れば、他人からのさほど懇ろでもないようないたわりなど
どうでも良くなって、より一層人に優しくしたりされたりすることに興味がなくなる。
ただし、この道を十二分に務め切れるのは、男のみである。
女は「人に優しくする」ということに限らず、出産以外の能力が軒並み
男よりも大幅に低いものだから、自愛もまた十二分に果たすことができない。
故に、女のほうが人から優しくされることを殊更に乞い求める一方で、
男は割とどうでもいい風でいられる。この表面性だけを真に受けて、
「男は女に優しくすべき(逆はどうでもいい)」というような風潮までもが、
レディーファーストなどという言葉で美化されながらまかり通ることともなるが。
実際のところ、優しくすることが男から女への一方通行に限られるというのなら、
男の側にはなんの得にもならない。それでもあくまで異性づき合いに興じようと
するような男は、損得勘定もろくにできないような愚か者に限られることとなる。
封建社会であれば、むしろ女のほうが男に優しくすべきだとされる。
だからといって、男のほうが女を奴隷のように扱ってなんら労わることもないようなら、
これまた殺伐に過ぎた世情となるが、女のほうが優しくされねばいられない性別で
あることと、男もまた損得勘定ができるほどまともな知性の持ち主であることの
折り合いを付けるというのであれば、異性づき合いはまず女のほうが男に対して
優しくするのでなければならないぐらいのわきまえではあるべきだろう。
そこから、「人に優しくすれば、自分もまた優しくされる」という関係性の好循環もまた始まる。
男の側から優しくしようとした所でうまくいかないのは、現今の数多の夫婦関係が
単なるカカア天下に終わっていることからも実証されていることなのだし。
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