「お国の為に死ぬ事」は必要な事なのだろうか?


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001 2014/07/03(木) 17:56:03 ID:7Vx24LioyY
自分の国を守る為に
戦争に参加して
自分の命を落とす事は
必要な事なのだろうか?

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002 2014/07/03(木) 18:19:56 ID:2egK9.hWFY
ベトナムでもイラクでも仲間のために自分の命を捨てて手榴弾に覆いかぶさって仲間を助けたアメリカ兵がいる
合理的な考えのアメリカ人が非合理的な行動をするそれが戦争だ

顧みて日本人が戦場に赴くときに自分の命を惜しむだろうか
徴兵から逃げるだろうか
天皇のためには戦わないかもしれないが日本人としての尊厳をかけて敵に向かう事を恐れるだろうか
日本の地を中国人に踏ませることを許すだろうか
蒙古に立ち向かった武士は報奨がなかったと鎌倉幕府に不満を募らせたと教えられたが
本当にそうだったのだろうか
太平洋戦争で徴兵されて南の島で戦った日本人は国に報奨を求めるために戦ったのだろうか
戦後の日本人は腰抜けになったのだろうか
敵の前で銃を置いて逃げ出すだろうか

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003 2014/07/03(木) 22:26:48 ID:uisvdBPwHQ

 死ぬ事が必要なのではない。

 護るべきものの為には 戦う事も必要なだけです。

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004 2014/07/03(木) 22:36:37 ID:2thL0GUz8k
実際は「お国」じゃなく、
互いの支配層のジジイに煽られての自殺。

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005 2014/07/03(木) 23:59:04 ID:/bviikIdsQ
右翼も左翼もそうだが、指導者はアジるだけ。

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006 2014/07/04(金) 02:25:52 ID:7cIwQkwqBo
007 2014/07/04(金) 19:53:19 ID:bMKx4EBYvc
戦場で勇敢に戦って死んだ人の死は讃えるべきなのか
それなら、日常のなかで空襲や原爆で焼け死んだ人たちの死は犬死なのか

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008 2014/07/05(土) 03:17:05 ID:I7VV.BC60Q
>>7
 それは 戦後の「軍隊批判」から生まれた疑義ですね。
 軍人遺族には恩給が支給されるようになってからの差別意識から、そのように揶揄される
事もあったようです。

 然し、それならば 戦場でも内地空襲でもなく、病気で多くの人の手を煩わせて死ねば
それこそ 国賊なのか? と言う事にも成りかねません。
 当然、そんな考え方は間違いです。

 讃えるべきは その武勲・功績であり、死ではありません。
 戦地・内地を問わず 国家の為に身を賭した方々へは 感謝の念を持つべきであり、人生半ば
で亡くなられた 総ての方々を哀悼するべきです。

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009 2014/07/05(土) 06:44:38 ID:6Wzk7N2xcU
戦後日本ではお国のためにってことは、それぞれが自分の大切な人達を護るためにって事
「人は国なり、国家は世間なり」だよ

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010 2014/07/05(土) 06:56:31 ID:qnjMOhYRp6
「良心的兵役拒否の方法もある」 大学名誉教授 森下忠(神奈川県90歳)
集団的自衛権の行使を認めるならば、自衛隊入りを希望する者が減少するであろう。
いずれ徴兵制の採用に至るのは必定だ。
本欄にも「僕は戦場で人を殺せません」(6月25日)という若者の意見が表明された。
かつて軍隊経験をしたことのある私には、その気持ちはよくわかる。
兵役は拒否できるのか。
徴兵制の可能性がほの見えるいま、この問題を考えてみても無駄にはならないのではないか。
憲法で良心的兵役拒否権を明記し、基本的人権として保障している国がある。
第2次世界大戦を契機に、良心的兵役拒否の運動が世界的に高まったからだ。
国連人権委員会は、良心的兵役拒否権を認める決議を採択している。
日本国憲法で考えると、良心的兵役拒否権の根拠は19条の「思想・良心の自由」に見いだされる。
良心的兵役拒否者には老人介護、環境保護、救急業務など代替的義務が課されるのが普通だ。
私は、ヨーロッパで良心的兵役拒否者が殉教者のごとく代替業務に就いている様子を感銘深く見た。
同盟国の防衛のための人殺しをしたくない者は、良心的兵役拒否を表明すべきである。

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011 2014/07/05(土) 19:42:34 ID:Hl3RoF25vc
世の中には稀にですが「色んな物捨てすぎだろこの人!」ってのがいます。
そういう人ではない一般人は戦争に行きます。
お国のためではなく、「捨てられないもののため」です。
戦時中でなくても、われわれには捨てられないものがあります。
戦後民主主義社会でも同じです。
部族社会でもそうだったでしょう。
捨てられないから、社会人としてきちんと生きれるのです。

この感覚は古からの人間社会の引き継ぎものですが、いろいろな色に染まります。
家族、親族、村・地域社会、会社、同窓、知人というリアルなものから延長されて、
見ず知らずでも、ヴァーチャルに連携、連帯して同じ目的で束ねられる者は「旗」の下で共闘できます。
国とか、同盟国とか、連合国とか、地球防衛軍とか・・・

感覚自体は極めて根深く、古く、文化どころか遺伝子レベルで人類に付与されたもの。
つまり、この感覚ゆえに戦うのです。
一義的には国のためにではありませんが、国が崩壊の瀬戸際にあり、
それを脅かしている存在が明確で、戦うことのでしか応戦できない場合、国のために戦えるのです。

その時点で「俺、国捨てることができるんだが・・・」という人は、ほかにも多くを捨てることができる人なのでしょう。

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012 2014/07/05(土) 20:31:17 ID:4wk8zHwGho
太平洋戦争で死んでいった若者達は天皇陛下のために死んだのじゃない。
日本本土をアメリカ軍に侵略され、家族達が犠牲になるのを食い止めようと
自らの命を捨てて行ったのだよ。
天皇陛下万歳等と言って敵艦に突っ込んだ者はいない。
皆思う事は「お母さん!」だ。

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013 2014/07/05(土) 21:37:32 ID:WM5YCxo4HY
何にも知らない人間が多すぎるな、
多分戦争の現実を少なからず聞かされた最後の世代のとして、書き込もうと思う。

俺がガキの頃には、戦地帰りの手や足の吹き飛ばされたおじさんが、
ウロウロしていた、小さい時は、おっかなくて逃げ回ったもんだ、
そのおじさんがよく言っていた、戦記や内地に送る手紙には、本当の事など書いて無い。
戦地では、お国の為とか、家族の為とか考える事など無い、
国は上官、家族はただただ、懐かしい事でしかない。
家族も、国もすがる対象では有っても、その為にどうこうなど、
一週間も、水だけしか飲めない逃亡戦をすれば、言い出す奴はいないと言っていた。
戦友と、自分、上官と、敵、人間関係は、たった其れだけ、
その中で食いっぱぐれない様上手く立ち回わらなけば、生き残れない。
家族の為とか、国の為とか、出征する時はそう思っていても、
機銃掃射を一回食らえば、ただ死にたくないと思う、そんなもんだ。
其れが南方と言っていた。

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