ムスリムの人達が時に日本の宗教観をして「ムスリムよりもムスリム的」と称する。
もちろんムスリムとはジハードを掲げ原理主義的な教議ばかりではない。
愛他行動(他人を思いやる)や差別のない博愛などを称してムスリムよりムスリム的と称する。
そんな中で不幸な列車事故(福知山線脱線事故など)航空機事故(日航御巣鷹山など)
自動車災害(中央道笹子トンネル事故など)、阪神大震災に311大震災や能登災害に熱海の災害など
の犠牲者の「御霊」を慰霊し祀る行為、さらにいえば犯罪を犯した死刑囚も等しく祀られる。
>>13 >>6で書いたように長谷川平蔵は「悪党にても人に御座候」という言葉を残した。
ゆえに小説の世界のみならず当時の民衆の支持を得た。
また、同じく
>>6で書いたようにA級戦犯が決して「悪党」とは思わないが、100歩、いや1000歩
譲って悪党だとしても「悪党にても人に御座候」の精神で等しく祀るのが冒頭に記したムスリムが
指摘する日本の美点ではないだろうか?元来、我々日本人が大切にしてきた価値感(宗教観)を
守り大切にしていくことのどこが悪い? と主張すべきではないか?
>>9 同じく、前世・現世でどのような行いをしたものであっても「御霊」は御霊。
親類、縁者、家族に遺族にステークホルダーでなくとも「御霊」に敬意と畏敬の念を持って来た
我々、日本人が「墓」の消滅で慰霊の意味を失うのだろうか?
100年経って、阪神大震災の遺族の墓が消滅してしまえば慰霊塔も慰霊碑も畏敬の念や慰霊の念も
意味をなさなくなるのだろうか?
返信する