実用主義が最低劣の民度を招く
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新型コロナ問題からのデマ情報によるトイレットペーパーの買い占め騒ぎを見て、
ああ、昔「存在価値と利用価値は相反する」というスレを立てたことがあったな、と思い出した。
「国宝重文級の名画のキャンバスになるような高級用紙では尻を拭くこともできないし、
価値がありすぎて日焼け予防のためろくに飾っておくこともできなくなったりする。
それと比べれば、トイレットペーパーは目に見えてよく人の役に立ち、
糞尿をなすり付けられて便器に流され、下水道で揉まれ溶けゆく」
云々という内容だった。
トイレットペーパーこそは、あらゆる物品の中でも最も実用性が高い一方、
宝物的価値が最も低い(ように作られた)物品でもある。
人間、物欲まみれで高価な財宝などを好んで買い込む姿は、いかにも成金じみて悪趣味に
なりがちなものだから、貧乏の言い訳も兼ねて高級品を極力避けるぐらいのことは良くある。
しかし、だからといって物欲が全てなくなるわけではなく、トイレットペーパーのような実用品を
買い込もうとする意欲や、物を買う手立てとしての金を貯める意欲まではなかなか捨てようとはしない。
この、完全に物欲を捨てられているわけでも、物欲が洗練されているわけでもない状態、
「実用主義に駆られて未洗練な物欲を募らせている状態」こそは、最も人々の民度を低からしめる元凶となる。
だからこそ、トイレットペーパーがデマに踊らされた愚かな買い込み騒ぎの最たる標的ともなっている。
かような醜態を防いで行くための手段は二つ、本当に物欲を全体的に抑制させるか、もしくは
物欲をもっと洗練させるか。後者のほうがむしろ容易なのに、誤解されて敬遠されがちなことよ。
ああ、昔「存在価値と利用価値は相反する」というスレを立てたことがあったな、と思い出した。
「国宝重文級の名画のキャンバスになるような高級用紙では尻を拭くこともできないし、
価値がありすぎて日焼け予防のためろくに飾っておくこともできなくなったりする。
それと比べれば、トイレットペーパーは目に見えてよく人の役に立ち、
糞尿をなすり付けられて便器に流され、下水道で揉まれ溶けゆく」
云々という内容だった。
トイレットペーパーこそは、あらゆる物品の中でも最も実用性が高い一方、
宝物的価値が最も低い(ように作られた)物品でもある。
人間、物欲まみれで高価な財宝などを好んで買い込む姿は、いかにも成金じみて悪趣味に
なりがちなものだから、貧乏の言い訳も兼ねて高級品を極力避けるぐらいのことは良くある。
しかし、だからといって物欲が全てなくなるわけではなく、トイレットペーパーのような実用品を
買い込もうとする意欲や、物を買う手立てとしての金を貯める意欲まではなかなか捨てようとはしない。
この、完全に物欲を捨てられているわけでも、物欲が洗練されているわけでもない状態、
「実用主義に駆られて未洗練な物欲を募らせている状態」こそは、最も人々の民度を低からしめる元凶となる。
だからこそ、トイレットペーパーがデマに踊らされた愚かな買い込み騒ぎの最たる標的ともなっている。
かような醜態を防いで行くための手段は二つ、本当に物欲を全体的に抑制させるか、もしくは
物欲をもっと洗練させるか。後者のほうがむしろ容易なのに、誤解されて敬遠されがちなことよ。
素人が「お宝」「骨董」と聞けば真っ先に思い出すだろう、この番組。
財宝を「買う」ことに興味のない素人がこればかり観てたら、
かえって購買欲がより失せるのではないかと思う。
まだ専門家の鑑定がされてない物品を正式な鑑定に出してみる番組だから、
自然と「正規ルートで相応な値段で入手したお宝」はまったく出てこない。
素人がいわく付きで手に入れた謎物品が本当にお宝だったりゴミだったりして
一喜一憂する姿を見るのが面白くとも、そんな姿ばかりを見ていれば、
「危ない橋は渡るまい」として骨董趣味をより敬遠し始めることだろう。
かくしておそらく、この番組も視聴者の物欲の未洗練さに磨きをかけていることだろう。
視聴者の側は「物欲を捨てた聖人君子になれた」とでも思い込みながら。
そうしてトイレットペーパーの買い込みに走る気概をより高めている。
財宝を「買う」ことに興味のない素人がこればかり観てたら、
かえって購買欲がより失せるのではないかと思う。
まだ専門家の鑑定がされてない物品を正式な鑑定に出してみる番組だから、
自然と「正規ルートで相応な値段で入手したお宝」はまったく出てこない。
素人がいわく付きで手に入れた謎物品が本当にお宝だったりゴミだったりして
一喜一憂する姿を見るのが面白くとも、そんな姿ばかりを見ていれば、
「危ない橋は渡るまい」として骨董趣味をより敬遠し始めることだろう。
かくしておそらく、この番組も視聴者の物欲の未洗練さに磨きをかけていることだろう。
視聴者の側は「物欲を捨てた聖人君子になれた」とでも思い込みながら。
そうしてトイレットペーパーの買い込みに走る気概をより高めている。
俺も、未だに骨董全般への興味があるわけではないが、
名刀の価値を計り知ることが修養としての意義を帯びていると鑑みて、
できる範囲での勉強をしてみたわけだ。
そしたら、やっぱり名刀とクズ刀には明白な違いがある、
鍛えの良さや焼き入れの良さ、体配の手堅さや刃紋の美しさなど、
良し悪しで差別するほかないほど明確な品質の格差があり、
名刀には名刀なりの、クズ刀にはクズ刀なりの値段が付けられていると知った。
ただ、「未鑑定」の場合には名刀が二足三文で売られたり、
クズ刀に法外な値段をふっかけているバカがいたりもする。
こういうシチュエーションで刀を買う場合だけが博打同然になるのであり、
正式な鑑定を経た刀を買うことのほうが、素人についてはむしろ常道である。
現状でもっとも信頼の置ける鑑定機関は、公益法人の日刀保とされていて、
由緒が全く謎な無銘の刀や、戦後直後に刀剣保護目的で鑑定書を乱発した頃などを除けば、
概ねその鑑定は信頼に足るとされる。(なんでも鑑定団の刀剣鑑定士もここの会員)
さらに、日刀保で鑑定済みの刀を購入した客に対しては、
購入額の八割以上での売却を常時受け付けている店なども相当数ある。
つまり、万が一贋物であった場合にも、その損失は補填されることとなる。
刀剣以外の骨董でも、正規ルートの場合にはこういう保険が二重三重に張り巡らされている
場合が多いから、偽物をつかまされて大損するようなことはまずないのだが、
そんなルートが実在すること自体を、今の小市民の大半が知らないようである。
名刀の価値を計り知ることが修養としての意義を帯びていると鑑みて、
できる範囲での勉強をしてみたわけだ。
そしたら、やっぱり名刀とクズ刀には明白な違いがある、
鍛えの良さや焼き入れの良さ、体配の手堅さや刃紋の美しさなど、
良し悪しで差別するほかないほど明確な品質の格差があり、
名刀には名刀なりの、クズ刀にはクズ刀なりの値段が付けられていると知った。
ただ、「未鑑定」の場合には名刀が二足三文で売られたり、
クズ刀に法外な値段をふっかけているバカがいたりもする。
こういうシチュエーションで刀を買う場合だけが博打同然になるのであり、
正式な鑑定を経た刀を買うことのほうが、素人についてはむしろ常道である。
現状でもっとも信頼の置ける鑑定機関は、公益法人の日刀保とされていて、
由緒が全く謎な無銘の刀や、戦後直後に刀剣保護目的で鑑定書を乱発した頃などを除けば、
概ねその鑑定は信頼に足るとされる。(なんでも鑑定団の刀剣鑑定士もここの会員)
さらに、日刀保で鑑定済みの刀を購入した客に対しては、
購入額の八割以上での売却を常時受け付けている店なども相当数ある。
つまり、万が一贋物であった場合にも、その損失は補填されることとなる。
刀剣以外の骨董でも、正規ルートの場合にはこういう保険が二重三重に張り巡らされている
場合が多いから、偽物をつかまされて大損するようなことはまずないのだが、
そんなルートが実在すること自体を、今の小市民の大半が知らないようである。
正式な鑑定に基づいて「宝物」と呼べるような物品は、
たとえ高額で購入しようとも、汚損などさせずに売却すれば
ほぼ購入額と同じ値段で売れるし、時勢によってはより高額で売れる。
だからこそ宝物は宝物なのであり、家とか車とか船とかは、
どんなに高額であってもこの条件を満たしづらいから、
(未使用で汚損させぬまま取り置くことが難しいため)
宝物扱いまでされることは少ないのである。
トイレットペーパーなんて、買った分だけ金が消えて行くものだし、
大量生産大量消費の時代の工業製品なんてのは、
だいたいがこれと似たような方向性を帯びているものなのに、
それでも現代の大衆は消耗品の購入消費ばかりを好き好んで行う。
それがただ身の程を知っているからなだけならいいんだが、
実際には、自分が最低劣な物欲の持ち主であることもわきまえずに、
骨董好きを見下しながらの嗜好だったりするものだから、狂態なのである。
たとえ高額で購入しようとも、汚損などさせずに売却すれば
ほぼ購入額と同じ値段で売れるし、時勢によってはより高額で売れる。
だからこそ宝物は宝物なのであり、家とか車とか船とかは、
どんなに高額であってもこの条件を満たしづらいから、
(未使用で汚損させぬまま取り置くことが難しいため)
宝物扱いまでされることは少ないのである。
トイレットペーパーなんて、買った分だけ金が消えて行くものだし、
大量生産大量消費の時代の工業製品なんてのは、
だいたいがこれと似たような方向性を帯びているものなのに、
それでも現代の大衆は消耗品の購入消費ばかりを好き好んで行う。
それがただ身の程を知っているからなだけならいいんだが、
実際には、自分が最低劣な物欲の持ち主であることもわきまえずに、
骨董好きを見下しながらの嗜好だったりするものだから、狂態なのである。
未熟な物欲に囚われた最低劣の小人からの脱却のために、
宝物への見識を高めて物欲を洗練させて行くという方法も適当となるが、
これとはまた別に、物欲全体を控えて行くという手段もまたもちろんある。
妻すらもあえて醜女を娶り、死後の身辺にはろくな財産もなかったという諸葛孔明や、
「老身に財宝所領もちゆる心なし(独行道)」という自著の通りの生き方を貫いた宮本武蔵の如き生き方。
できるもんならやればいいが、現実には最も困難な道のりとなる。
孔明のように一生涯を仁義忠孝のための盛業に費やすか、あるいは
武蔵のように自らが剣技や書画工芸などの能力で重宝級の価値を持つ「生ける芸術」となるか。
ろくな能力もなく、ろくな仕事をやってるわけでもないのに、物欲までない。
そんな人間になるのはある意味、孔明や武蔵になるよりも難しいことであり、
これまた寺での厳しい修行などを介するのでなければ到底、務まることではない。
宝物への見識を高めて物欲を洗練させて行くという方法も適当となるが、
これとはまた別に、物欲全体を控えて行くという手段もまたもちろんある。
妻すらもあえて醜女を娶り、死後の身辺にはろくな財産もなかったという諸葛孔明や、
「老身に財宝所領もちゆる心なし(独行道)」という自著の通りの生き方を貫いた宮本武蔵の如き生き方。
できるもんならやればいいが、現実には最も困難な道のりとなる。
孔明のように一生涯を仁義忠孝のための盛業に費やすか、あるいは
武蔵のように自らが剣技や書画工芸などの能力で重宝級の価値を持つ「生ける芸術」となるか。
ろくな能力もなく、ろくな仕事をやってるわけでもないのに、物欲までない。
そんな人間になるのはある意味、孔明や武蔵になるよりも難しいことであり、
これまた寺での厳しい修行などを介するのでなければ到底、務まることではない。
ろくな身分でも能力者でもないような人間が、
さも物欲まで分相応に控えた聖人君子であるかのような振る舞いを
表向き心がけることで見栄を張る、ということはよくある。
その時に特に目の敵にされるのが、宝物や高級品であり、
トイレットペーパーに準ずるような日用品はこの限りではないし、
あえて見せなければ誰が知るわけでもない預金なども除外される。
ある程度まではそういったミニマリスト的な生活態度を見せかけられもするが、
年取って体力が衰えて掃除整理がやりづらくなり、何もない部屋の隙間風が
寒くて仕方ないようになれば、かなりの確率でゴミ屋敷を形成し始める。
近所から苦情が来るほど大規模化するのは少数であっても、
自分の部屋や机上が使いもしない消耗品やゴミで溢れ返り始めるぐらいのことは、
市井がモノで溢れ返っている上に高度医療が発達した現代社会の老人なら、
大多数が大なり小なり似たような経験をすることになる。
これも、ただ物欲がないかのように見せかけていただけで、
現実にはゴミでもいいからモノを貪るような、最低劣の物欲の塊だったからである。
「生きて行く上での最低限のモノがあればいい」なんていう美辞麗句を掲げながら、
実際には内なる所有衝動をハムスターのように募らせ続けている。
だから、本当に物欲全般を捨て去ることは極めて難しいことだと言ってるのである。
さも物欲まで分相応に控えた聖人君子であるかのような振る舞いを
表向き心がけることで見栄を張る、ということはよくある。
その時に特に目の敵にされるのが、宝物や高級品であり、
トイレットペーパーに準ずるような日用品はこの限りではないし、
あえて見せなければ誰が知るわけでもない預金なども除外される。
ある程度まではそういったミニマリスト的な生活態度を見せかけられもするが、
年取って体力が衰えて掃除整理がやりづらくなり、何もない部屋の隙間風が
寒くて仕方ないようになれば、かなりの確率でゴミ屋敷を形成し始める。
近所から苦情が来るほど大規模化するのは少数であっても、
自分の部屋や机上が使いもしない消耗品やゴミで溢れ返り始めるぐらいのことは、
市井がモノで溢れ返っている上に高度医療が発達した現代社会の老人なら、
大多数が大なり小なり似たような経験をすることになる。
これも、ただ物欲がないかのように見せかけていただけで、
現実にはゴミでもいいからモノを貪るような、最低劣の物欲の塊だったからである。
「生きて行く上での最低限のモノがあればいい」なんていう美辞麗句を掲げながら、
実際には内なる所有衝動をハムスターのように募らせ続けている。
だから、本当に物欲全般を捨て去ることは極めて難しいことだと言ってるのである。
特に、近ごろの団塊〜バブル世代あたりの年寄りは、
若者以上に西洋かぶれや近代文明かぶれが多いものだから、
(団塊は野球好き、バブルはサッカー好き、新人類は文系の西洋文化好き
が多いなど、それぞれに多少の個体差もあるようではあるが)
たとえ金があって物欲を開き直っている場合にも、
宝物や骨董を嗜好することが少ないようである。
金を使うなら、高級車なり大型テレビなりゴルフクラブなりハワイ旅行なりと、
一概に遊興の材料となるような消耗性の商品ばかりに費やそうとする。
要するに遊興主義であり、遊興のために実用主義もまたより増強されている。
本人たちはそれで満足であっても、傍観者の若者などからはちっとも魅力的に映らない。
ハクイスケを高級車の助手席に侍らせてドライブなんてことの楽しさが
全く分からないわけではなくとも、そのために職場で団塊に怒鳴りつけられ
バブルにいびられて、それでも媚びへつらって取り入れられるような
恥辱を受け入れてまで自分も手に入れたいものだなどとは、到底思われない。
刀剣だって元来は実用品だが、その実用手段である「実戦」が法律で禁じられている上に、
許された所でろくにやりたくもないような禍事だから、実用第一なら敬遠したくなるもの。
それでもその宝物としての存在価値を計り知り、実戦剣術をも武芸として修めるのであれば、
そんな年寄りこそは若者からも羨望や畏敬をされるに値する。
今の年寄りはさような選択肢をあえてこばみ、自分本位な遊興や、
そのための実用品の消費ばかりに執心して来ているのだから、
若者に侮り蔑まれるとしても自業自得という他ない。
実用主義の低劣さは、長幼の序を害わしめるのにも十分に値するものである。
若者以上に西洋かぶれや近代文明かぶれが多いものだから、
(団塊は野球好き、バブルはサッカー好き、新人類は文系の西洋文化好き
が多いなど、それぞれに多少の個体差もあるようではあるが)
たとえ金があって物欲を開き直っている場合にも、
宝物や骨董を嗜好することが少ないようである。
金を使うなら、高級車なり大型テレビなりゴルフクラブなりハワイ旅行なりと、
一概に遊興の材料となるような消耗性の商品ばかりに費やそうとする。
要するに遊興主義であり、遊興のために実用主義もまたより増強されている。
本人たちはそれで満足であっても、傍観者の若者などからはちっとも魅力的に映らない。
ハクイスケを高級車の助手席に侍らせてドライブなんてことの楽しさが
全く分からないわけではなくとも、そのために職場で団塊に怒鳴りつけられ
バブルにいびられて、それでも媚びへつらって取り入れられるような
恥辱を受け入れてまで自分も手に入れたいものだなどとは、到底思われない。
刀剣だって元来は実用品だが、その実用手段である「実戦」が法律で禁じられている上に、
許された所でろくにやりたくもないような禍事だから、実用第一なら敬遠したくなるもの。
それでもその宝物としての存在価値を計り知り、実戦剣術をも武芸として修めるのであれば、
そんな年寄りこそは若者からも羨望や畏敬をされるに値する。
今の年寄りはさような選択肢をあえてこばみ、自分本位な遊興や、
そのための実用品の消費ばかりに執心して来ているのだから、
若者に侮り蔑まれるとしても自業自得という他ない。
実用主義の低劣さは、長幼の序を害わしめるのにも十分に値するものである。
今の若者も別に、禁欲主義だったり洗練された物欲の持ち主だったりするのではない。
まだ若くて生きてるだけでも楽しい+スマホでSNSやソシャゲという組み合わせが
それなりの満足をもたらすものだから今のうちは大丈夫というだけで、
年取って幸福感が薄れてくると必ずや、破綻を来たすに違いない。
(近年、アラフォー氷河期世代の暴発事件などがあるのもそのため)
調子に乗ってこんな殺風景をやせ我慢してたような奴ほど、加齢と共に
人並み以上にひどいゴミ屋敷を作り始めるなんてこともあり得る。
そうならないように、なおかつ今の年寄りみたいな醜い物欲まみれに陥らないためには、
昔の出家者なみに徹底的かつ体系的な禁欲志向を育んで行くか、もしくは
物の良し悪しを見分ける見識を身に付けて、本当に価値のあるものだけを所有するようにするか。
この部屋に、本当に一切価値のあるものなど置いてなくて、
最低限の日用品のみあるというのなら、そのほうが晩年にはゴミ屋敷まっしぐらだろうが、
日刀保で特別保存刀剣以上の鑑定が付く刀(素性不明の無銘刀や偽銘刀は含まれない)が一振りでもあれば、
それだけで死の間際に至るまでこれだけの整頓加減を保ち続けることも可能だろう。
そんな心がけのある若者がいるわけでもないし、仏門の腐敗のせいで体系的な禁欲修行の道も閉ざされている。
年寄りか若者かなどに関わらず、万人が未熟な物欲の呪いにかけられているのが日本の現状である。
まだ若くて生きてるだけでも楽しい+スマホでSNSやソシャゲという組み合わせが
それなりの満足をもたらすものだから今のうちは大丈夫というだけで、
年取って幸福感が薄れてくると必ずや、破綻を来たすに違いない。
(近年、アラフォー氷河期世代の暴発事件などがあるのもそのため)
調子に乗ってこんな殺風景をやせ我慢してたような奴ほど、加齢と共に
人並み以上にひどいゴミ屋敷を作り始めるなんてこともあり得る。
そうならないように、なおかつ今の年寄りみたいな醜い物欲まみれに陥らないためには、
昔の出家者なみに徹底的かつ体系的な禁欲志向を育んで行くか、もしくは
物の良し悪しを見分ける見識を身に付けて、本当に価値のあるものだけを所有するようにするか。
この部屋に、本当に一切価値のあるものなど置いてなくて、
最低限の日用品のみあるというのなら、そのほうが晩年にはゴミ屋敷まっしぐらだろうが、
日刀保で特別保存刀剣以上の鑑定が付く刀(素性不明の無銘刀や偽銘刀は含まれない)が一振りでもあれば、
それだけで死の間際に至るまでこれだけの整頓加減を保ち続けることも可能だろう。
そんな心がけのある若者がいるわけでもないし、仏門の腐敗のせいで体系的な禁欲修行の道も閉ざされている。
年寄りか若者かなどに関わらず、万人が未熟な物欲の呪いにかけられているのが日本の現状である。
ただ、今の日本人といえども、取り立てて民度が低いと言われているような
諸外国の人間と比べれば、まだ未熟な物欲を恥じる心持ちが残存しているようではある。
去年起きたこの京成線の衝突脱線事故などでも、散乱した果物をくすねるような日本人は一人もいなかった。
同様の事件が中国などで起きれば、野次馬がここぞとばかりに群がって散乱物を収奪して行くし、
アフリカでは、事故を起こしたタンクローリーから漏れ出したガソリンを収奪しようとした
近隣住民が、爆発に巻き込まれて60人以上が死亡するなんていう事件も去年あった。
それと比べれば、占有離脱物横領を控える程度には日本人も全体的に物欲を控えられているといえ、
民度の高さがうかがえる実例だともされているが。どうして日本人がそのようでいられるかといえば、
元来、日本には物欲を洗練によって制御させて行く、豊かな格物致知の文化があったからである。
諸外国の人間と比べれば、まだ未熟な物欲を恥じる心持ちが残存しているようではある。
去年起きたこの京成線の衝突脱線事故などでも、散乱した果物をくすねるような日本人は一人もいなかった。
同様の事件が中国などで起きれば、野次馬がここぞとばかりに群がって散乱物を収奪して行くし、
アフリカでは、事故を起こしたタンクローリーから漏れ出したガソリンを収奪しようとした
近隣住民が、爆発に巻き込まれて60人以上が死亡するなんていう事件も去年あった。
それと比べれば、占有離脱物横領を控える程度には日本人も全体的に物欲を控えられているといえ、
民度の高さがうかがえる実例だともされているが。どうして日本人がそのようでいられるかといえば、
元来、日本には物欲を洗練によって制御させて行く、豊かな格物致知の文化があったからである。
刀剣に限らず、あらゆる工芸品を精魂込めて作り上げて行く職人文化。
日本以外にも上等な工芸品を作り込んでいる国はいくらでもあるが、
量産品に至るまで高い水準を保つことにかけては日本こそが今も昔も随一である。
その工芸水準の高さが、戦後には工業生産の分野にも応用されて、
「MADE IN JAPAN」といえば高品質で低価格の代名詞ともなった。
安価な量産品でも作る以上は手を抜かないか、もしくは手の抜き方を
よく考えて、実用上の問題を来たすことが決してないようにする。
トイレットペーパーがミシン目に沿ってまっすぐに切れたり、
レジ袋が絶対底が抜けたりしないように作られていたりするのもその一例で、そこまで
物作りへのこだわりを欠かさないことが、引いては物欲の制御にも一役買い続けているといえる。
しかし、工業生産というのは所詮、物品の宝物的価値を否定した所で
成り立っているものに過ぎないから、そればかりに終始していれば
どうしたって物欲の洗練度が目減りして行くことになる。
便利機能を盛りだくさんにしたせいで、かえって使いにくくなってしまった
日本メーカーの家電などよりも、最低限の機能に特化した代わりにより安くした
中韓メーカーの家電のほうが世界的なシェアを奪取してしまっているのも、
そもそも工業製品というものがその程度で十分なものだからこそ。
物欲洗練の材料にするのならば、最低でも工芸品以上ではあるべきである。
工業製品がどんなに高価でも、それなりの物量投入(生産ラインを含む)があるからだし、
寸分違わず同一の製品を量産しているものだから、所有に欠けての満足度も必ず低い。
小さな皿や湯呑み程度であっても、精魂込めて職人が作ったワンオフ品であれば、
豪華客船やジェットなみの工業製品にも勝る宝物的価値を帯びるものである。
そこにこそ楽しみを見出せるか否かが、本人の品性を段違いに様変わりさせることとなる。
ふぅ
日本以外にも上等な工芸品を作り込んでいる国はいくらでもあるが、
量産品に至るまで高い水準を保つことにかけては日本こそが今も昔も随一である。
その工芸水準の高さが、戦後には工業生産の分野にも応用されて、
「MADE IN JAPAN」といえば高品質で低価格の代名詞ともなった。
安価な量産品でも作る以上は手を抜かないか、もしくは手の抜き方を
よく考えて、実用上の問題を来たすことが決してないようにする。
トイレットペーパーがミシン目に沿ってまっすぐに切れたり、
レジ袋が絶対底が抜けたりしないように作られていたりするのもその一例で、そこまで
物作りへのこだわりを欠かさないことが、引いては物欲の制御にも一役買い続けているといえる。
しかし、工業生産というのは所詮、物品の宝物的価値を否定した所で
成り立っているものに過ぎないから、そればかりに終始していれば
どうしたって物欲の洗練度が目減りして行くことになる。
便利機能を盛りだくさんにしたせいで、かえって使いにくくなってしまった
日本メーカーの家電などよりも、最低限の機能に特化した代わりにより安くした
中韓メーカーの家電のほうが世界的なシェアを奪取してしまっているのも、
そもそも工業製品というものがその程度で十分なものだからこそ。
物欲洗練の材料にするのならば、最低でも工芸品以上ではあるべきである。
工業製品がどんなに高価でも、それなりの物量投入(生産ラインを含む)があるからだし、
寸分違わず同一の製品を量産しているものだから、所有に欠けての満足度も必ず低い。
小さな皿や湯呑み程度であっても、精魂込めて職人が作ったワンオフ品であれば、
豪華客船やジェットなみの工業製品にも勝る宝物的価値を帯びるものである。
そこにこそ楽しみを見出せるか否かが、本人の品性を段違いに様変わりさせることとなる。
ふぅ
常に逃げ道を意識した文章だから読みにくい
>>21
欧米人は、契約信仰のせいでモノの値段を吊り上げることに躊躇がないだけで、
別にモノの宝物的価値がアジア人以上によく分かるわけではない。
正真鑑定済みの正宗級の名刀でも、数億円も出せば買えないこともないが、
欧米じゃこんな落書きが数百億円で取引される。
ただその物品についている契約上の値段を崇め立てているだけで、
物品そのものの価格相応な価値を崇めているわけではない。
近ごろの日本刀の時価は、人気低迷のせいで下がり過ぎているところもあるが、
それでも正式鑑定済みの物が大幅に適正価格からかけ離れるなんてことはない。
名将の愛刀だったとかのネームバリュー付きだとまた付加価値を帯びる場合もあるが、
それとはまた別に、刀そのものが取引される上での普遍的な相場というものがある。
そしてそういう相場は、モノの価値と値段の釣り合わせ方をよく研鑽してきた
人間だけが見定められる。日本人はこの手の経験が欧米人以上に豊富である一方、
欧米人がその他の諸外国人と比べて特別に秀でているなんてこともない。
物品の宝物的価値を確信犯的に否定してきた(旧)共産主義国の人間などと
比べれば、契約上宝物と認められたモノを大事にする傾向はあってもな。
欧米人は、契約信仰のせいでモノの値段を吊り上げることに躊躇がないだけで、
別にモノの宝物的価値がアジア人以上によく分かるわけではない。
正真鑑定済みの正宗級の名刀でも、数億円も出せば買えないこともないが、
欧米じゃこんな落書きが数百億円で取引される。
ただその物品についている契約上の値段を崇め立てているだけで、
物品そのものの価格相応な価値を崇めているわけではない。
近ごろの日本刀の時価は、人気低迷のせいで下がり過ぎているところもあるが、
それでも正式鑑定済みの物が大幅に適正価格からかけ離れるなんてことはない。
名将の愛刀だったとかのネームバリュー付きだとまた付加価値を帯びる場合もあるが、
それとはまた別に、刀そのものが取引される上での普遍的な相場というものがある。
そしてそういう相場は、モノの価値と値段の釣り合わせ方をよく研鑽してきた
人間だけが見定められる。日本人はこの手の経験が欧米人以上に豊富である一方、
欧米人がその他の諸外国人と比べて特別に秀でているなんてこともない。
物品の宝物的価値を確信犯的に否定してきた(旧)共産主義国の人間などと
比べれば、契約上宝物と認められたモノを大事にする傾向はあってもな。
日本刀は、使用される鉄の量や質だけを見ても、
自動車なみの原価がかかっていることが明らかだから、最低でも数十万円、
職人たちの生活を考えれば数百万円以上で取引されるのが適正である。
さらにそこに美術的価値が加味されて1000万円超え、
歴史的価値までもが付随して数千万円から数億円。
実際にその程度の値段で昔から日本刀は取引され続けて来ている。
自動車も似たような相場で売買されているが、使用されている鉄材が
日本刀ほど高品質ではないから経年で致命的に朽ち錆びるし、
鉄以外にも経年でダメになってしまうような部材が多く使われている。
そしてなにより、技術革新のせいですぐに型落ちしてしまう。
宝物的価値ではいくらでも刀剣に劣る面があるのだが、それでも
その実用性の高さ故に、現代人には遥かに好んで購買されている。
日本車と比べれば、外車はおおむね原価率が低いようだし、
一部には現代アート的な法外な価格の釣り上げなども見られる。
それでいておおむね日本車よりも壊れやすく、燃費も悪い。
これなぞは、日本人のほうが欧米人よりもモノの価値を適正に
判断する能力が高い証拠になっていると言えなくもない。
ただ、近ごろの日本刀などと同じで、日本車にも「安すぎる」という
傾向はあるから、そのせいで生産者が苦しめられるような問題も来している。
最も適正な物品への価格相場は、日本と欧米の中間の、
もう少し日本寄りあたりなのではないかと思われる。
日本人が国際的な価格相場を主導的に定められるようになれば
そのあたりに落ち着くだろうが、今の主導者は欧米人だからな。
自動車なみの原価がかかっていることが明らかだから、最低でも数十万円、
職人たちの生活を考えれば数百万円以上で取引されるのが適正である。
さらにそこに美術的価値が加味されて1000万円超え、
歴史的価値までもが付随して数千万円から数億円。
実際にその程度の値段で昔から日本刀は取引され続けて来ている。
自動車も似たような相場で売買されているが、使用されている鉄材が
日本刀ほど高品質ではないから経年で致命的に朽ち錆びるし、
鉄以外にも経年でダメになってしまうような部材が多く使われている。
そしてなにより、技術革新のせいですぐに型落ちしてしまう。
宝物的価値ではいくらでも刀剣に劣る面があるのだが、それでも
その実用性の高さ故に、現代人には遥かに好んで購買されている。
日本車と比べれば、外車はおおむね原価率が低いようだし、
一部には現代アート的な法外な価格の釣り上げなども見られる。
それでいておおむね日本車よりも壊れやすく、燃費も悪い。
これなぞは、日本人のほうが欧米人よりもモノの価値を適正に
判断する能力が高い証拠になっていると言えなくもない。
ただ、近ごろの日本刀などと同じで、日本車にも「安すぎる」という
傾向はあるから、そのせいで生産者が苦しめられるような問題も来している。
最も適正な物品への価格相場は、日本と欧米の中間の、
もう少し日本寄りあたりなのではないかと思われる。
日本人が国際的な価格相場を主導的に定められるようになれば
そのあたりに落ち着くだろうが、今の主導者は欧米人だからな。
>>23
おまえの考える「正々堂々と逃げ道を絶った発言」って、たとえばこんなのだろ?
「人間はみんな、痩せて腹を引っ込ませるためのダイエットに取り組むべきだ!(ドヤァ」
それに対して、俺はこんな風に考える。
「そんなの人それぞれに決まってんだろ。
痩せるべき人間は痩せ、太るべき人間は太り、そのままでいい人間はそのままで」
そしたら、おまえは「逃げ道を用意した姑息で読みづらい発言だな」と考える。
真実は、だいたい何事も微妙で多彩な様相を帯びているというのに、
わざわざあえて好き好んで、何もかもをバカの一つ覚えで塗り固めようとする。
別にカルト宗教や共産主義を狂信しているわけでなくとも、おまえ自身の
モノの考え方が、そういった原理主義に振り切れたがるドグマ性を帯びている。
あぁ、一つ覚えからの思考停止を好きこのむ怠慢の罪深さよ。
おまえの考える「正々堂々と逃げ道を絶った発言」って、たとえばこんなのだろ?
「人間はみんな、痩せて腹を引っ込ませるためのダイエットに取り組むべきだ!(ドヤァ」
それに対して、俺はこんな風に考える。
「そんなの人それぞれに決まってんだろ。
痩せるべき人間は痩せ、太るべき人間は太り、そのままでいい人間はそのままで」
そしたら、おまえは「逃げ道を用意した姑息で読みづらい発言だな」と考える。
真実は、だいたい何事も微妙で多彩な様相を帯びているというのに、
わざわざあえて好き好んで、何もかもをバカの一つ覚えで塗り固めようとする。
別にカルト宗教や共産主義を狂信しているわけでなくとも、おまえ自身の
モノの考え方が、そういった原理主義に振り切れたがるドグマ性を帯びている。
あぁ、一つ覚えからの思考停止を好きこのむ怠慢の罪深さよ。
違うんなら、どうしてアフリカの貧困国なみの肥満率である日本人が、
正真肥満大国のアメリカが発祥であるダイエットブームなんかに
足並みをそろえて乗っかろうとし続けているのか?
栄養失調で飢餓体質になってしまったために、
全身はやせ細っているのに腹だけポッコリ膨らんでいるおっさんとか、
やせ過ぎで尻や胸の肉まで落ちてしまったために、
相対的に腹周りが太く見えるようになってしまってる女とか、
今やそんな奇形体型の日本人ばかりになってしまった。
むしろ栄養不足が原因だから、シッカリ食べることで見栄えも良くなるのに、
ダイエットこそが唯一の美容手段か何かだと思い込んで、
より腹周りを太く見せかけることに余念がない。
見栄えが良くなることなんかよりも、まず
「ダイエットは良いこと」という一つ覚えの悦楽に浸っていたい怠慢があるからこそ、
なかなか考えを切り替えることもできない。そんな日本人ばかりじゃないか。
どうせおまえもそのうちの一人に過ぎないんだろ?
正真肥満大国のアメリカが発祥であるダイエットブームなんかに
足並みをそろえて乗っかろうとし続けているのか?
栄養失調で飢餓体質になってしまったために、
全身はやせ細っているのに腹だけポッコリ膨らんでいるおっさんとか、
やせ過ぎで尻や胸の肉まで落ちてしまったために、
相対的に腹周りが太く見えるようになってしまってる女とか、
今やそんな奇形体型の日本人ばかりになってしまった。
むしろ栄養不足が原因だから、シッカリ食べることで見栄えも良くなるのに、
ダイエットこそが唯一の美容手段か何かだと思い込んで、
より腹周りを太く見せかけることに余念がない。
見栄えが良くなることなんかよりも、まず
「ダイエットは良いこと」という一つ覚えの悦楽に浸っていたい怠慢があるからこそ、
なかなか考えを切り替えることもできない。そんな日本人ばかりじゃないか。
どうせおまえもそのうちの一人に過ぎないんだろ?
凄い想像力だなwでも全然違う
「違う」といえば違うことになるのなら、この世に検証行為などいらんのじゃ。
しかるに、おまえらは俺にだけは必ず検証可能な論拠を求め、
おまえらでも理解できるように説明できなければ鬼の首を取ったようにはしゃぎ回る。
やってることが根本的に矛盾してるから、
「ああ、なんの分別もないただの仔猫ちゃんなんだな」と自明に分かるわけだ。
その程度の連中を相手にしている割りには、俺も発論が丁寧すぎる所があるわな。
丁寧なのはあくまで自己理解を高めるためで、それが矮小な現世の外側の誰かの
ためにもなればなおのこと良い。「おまえら」への物言いとしては高級すぎて
付いていけない部分については、頭を地面に突っ伏して見逃してるといいよ。
しかるに、おまえらは俺にだけは必ず検証可能な論拠を求め、
おまえらでも理解できるように説明できなければ鬼の首を取ったようにはしゃぎ回る。
やってることが根本的に矛盾してるから、
「ああ、なんの分別もないただの仔猫ちゃんなんだな」と自明に分かるわけだ。
その程度の連中を相手にしている割りには、俺も発論が丁寧すぎる所があるわな。
丁寧なのはあくまで自己理解を高めるためで、それが矮小な現世の外側の誰かの
ためにもなればなおのこと良い。「おまえら」への物言いとしては高級すぎて
付いていけない部分については、頭を地面に突っ伏して見逃してるといいよ。
自分で書いた文章に入ったツッコミすら理解出来ないのかよw
面倒臭えから何処がどうとは言わねえからテメーで考えろw
面倒臭えから何処がどうとは言わねえからテメーで考えろw
>>10
結局私のような末端の人間はね
金が無くて買えんし、そういった機会にもなかなか恵まれませんわ
だからといってミニマルやダイエット指向に拍車がかかるわけでもない、純粋に日本が好きだから
自分自身を卑下するような、つまり妥協の上には立ちたくない、貴方の仰ってる事もよく分かる
野蛮人のアイデンティティは生まれながらにして備わっているのにね
高潔のアイデンティティっていうのは培われていくものであって
それはやっぱりなかなか手に入らない、コストと時間がしっかり有効活用されたところで
相乗効果によって洗練されていくものだと思ってるよ
今はコストは削るわ時間は浪費するわで、そりゃ格差も広がるでしょっていう
明るい未来を羨望するのであれば、そういった高潔なる野蛮人の協力は必要不可欠と思ってますね
結局私のような末端の人間はね
金が無くて買えんし、そういった機会にもなかなか恵まれませんわ
だからといってミニマルやダイエット指向に拍車がかかるわけでもない、純粋に日本が好きだから
自分自身を卑下するような、つまり妥協の上には立ちたくない、貴方の仰ってる事もよく分かる
野蛮人のアイデンティティは生まれながらにして備わっているのにね
高潔のアイデンティティっていうのは培われていくものであって
それはやっぱりなかなか手に入らない、コストと時間がしっかり有効活用されたところで
相乗効果によって洗練されていくものだと思ってるよ
今はコストは削るわ時間は浪費するわで、そりゃ格差も広がるでしょっていう
明るい未来を羨望するのであれば、そういった高潔なる野蛮人の協力は必要不可欠と思ってますね
このスレで言いたいのは。
自分のクソは自分で舐め取る程の覚悟を各々が持ってこそ、正しい世界へ向かうという事です。
命をかける程の決意ではないが、己の尻拭いぐらいは己でやれると言う事を体現したのがこのポーズであり、
汚物すらも口にして、世間に迷惑は掛けまいと言う覚悟の現れでもある。
この秘技のポーズ「クンニバカ」を体得すればこそ、世間に間違った風潮が蔓延ることも無くなるのである。
これは何も覚悟だけではなく、これをやることによってトイレットペーパーの無駄遣いもなくなり、それどころか一切不要になる。
僅かではあるが実用主義からの開放も見込める上に、このポーズを体得すにはかなり高度なヨガを身につける必要があり、
精神と身体の健康までも高めることの出来る、一石三鳥の方法なのだ。
「クンニバカ」を体得することこそは、己の内側の浄化と、社会の実用主義の浄化という両成敗を見込める至高の方法なのだ。
自分のクソは自分で舐め取る程の覚悟を各々が持ってこそ、正しい世界へ向かうという事です。
命をかける程の決意ではないが、己の尻拭いぐらいは己でやれると言う事を体現したのがこのポーズであり、
汚物すらも口にして、世間に迷惑は掛けまいと言う覚悟の現れでもある。
この秘技のポーズ「クンニバカ」を体得すればこそ、世間に間違った風潮が蔓延ることも無くなるのである。
これは何も覚悟だけではなく、これをやることによってトイレットペーパーの無駄遣いもなくなり、それどころか一切不要になる。
僅かではあるが実用主義からの開放も見込める上に、このポーズを体得すにはかなり高度なヨガを身につける必要があり、
精神と身体の健康までも高めることの出来る、一石三鳥の方法なのだ。
「クンニバカ」を体得することこそは、己の内側の浄化と、社会の実用主義の浄化という両成敗を見込める至高の方法なのだ。
実用主義も生産関係もつまらなくしているのは、突き詰めていくと全部仕事だな
薄情な人間を生成しているのも仕事よ、格差の根源も仕事
人間と生活が惰性化しているのも労働に支配されてるからだ
命の尊厳も、自然の源泉も、宇宙の偶発も、ことごとく非難、排除、抑制して成り立ってるのが仕事なんだ
悪びれもなくやってるんだよ、むしろ正義と言わんばかりにね
そこに人間はどう折り合いをつけて到達するのか、っていうのが重要だと思うが
結局は人生という名の脅迫から逃れる為に、各々が好き勝手な事してるっていうのが現状でしょうね
薄情な人間を生成しているのも仕事よ、格差の根源も仕事
人間と生活が惰性化しているのも労働に支配されてるからだ
命の尊厳も、自然の源泉も、宇宙の偶発も、ことごとく非難、排除、抑制して成り立ってるのが仕事なんだ
悪びれもなくやってるんだよ、むしろ正義と言わんばかりにね
そこに人間はどう折り合いをつけて到達するのか、っていうのが重要だと思うが
結局は人生という名の脅迫から逃れる為に、各々が好き勝手な事してるっていうのが現状でしょうね
まあ、仕事で褒められる事もあるし、それによってもたらされる喜びっていうのは
金銭には代えがたいものがある
ただ、それを利用して搾取をこなす経営者っていうのも絶えず現出しているのが世の中だ
それは示唆なのか?情勢なのか?不確かな数字や不景気という言葉のまやかしの上に
人間達は神経を衰弱させ、負け組と呼称され、公的扶助がもてはやされ
お互いに顔を突き合わせ「日本は終わった!」とぬかしている、こんな事をやっているようでは、永遠に好景気など訪れんのだぞ!
俺は高潔な人間だから、君達のやっている事は本末転倒としか思えんのだよ
金銭には代えがたいものがある
ただ、それを利用して搾取をこなす経営者っていうのも絶えず現出しているのが世の中だ
それは示唆なのか?情勢なのか?不確かな数字や不景気という言葉のまやかしの上に
人間達は神経を衰弱させ、負け組と呼称され、公的扶助がもてはやされ
お互いに顔を突き合わせ「日本は終わった!」とぬかしている、こんな事をやっているようでは、永遠に好景気など訪れんのだぞ!
俺は高潔な人間だから、君達のやっている事は本末転倒としか思えんのだよ
ちゃんと見なさいよ、小銃を構えた自衛隊員の内腿ばっかり見やがって、ったく
いい事思いついたけど
オリンピックの選手たちがボイコットすればいいんだよな
我々は金儲け主義の道具ではない!とか言ってね、中止にして映画化すればいいんだわ
これが本当の利害関係の一致ですわ
いい事思いついたけど
オリンピックの選手たちがボイコットすればいいんだよな
我々は金儲け主義の道具ではない!とか言ってね、中止にして映画化すればいいんだわ
これが本当の利害関係の一致ですわ
>>38-39
仕事の中でも、「質よりも量」の仕事。
とにかく大量生産、高収益であることばかりに特化した仕事。
工業が工芸と異なる所以もそこにあるし、
結局、工業という業態が職人の保護なぞよりも商売になびいてしまう理由もそこにある。
「士農工商」とは逆の序列となる「商工業」、
資本主義社会にとってのほとんど全てであるこの商工業が、
そのまま人々の実用主義(プラグマティズム)を助長する元凶となっている。
実用主義だけでなく、同時に人々の動的没頭、多動(多働)への惑溺をも助長する。
大量労働をけしかけるだけではさすがに苦しくて労働者が付いてこないから、
スポーツやドライブやテレビ映画やセックスなどの、動的没頭を伴う遊興も共に促す。
産業革命による近代の過重労働発症の地であるイギリスも、
その精神を忠実に受け継いでいるアメリカやドイツや近代の日本も、
みんなこれらの文化に淫している筆頭格である。
プラグマティズムからの民度の低下は、
それなりに現実的な実情が多重に折り重って生ずるものだから、
「これさえしときゃいい」なんて風には言えない。
宝物的価値への見識教育、「商>工業」という序列の訂正、動的没頭偏重の潮流の廃絶、
その他いくらでも手立ては思いつくが、一つと言わず全部試みなければならない。
一つ覚えの多頭怪獣の首を、一つ残らず切り落として生き返らせぬように。
仕事の中でも、「質よりも量」の仕事。
とにかく大量生産、高収益であることばかりに特化した仕事。
工業が工芸と異なる所以もそこにあるし、
結局、工業という業態が職人の保護なぞよりも商売になびいてしまう理由もそこにある。
「士農工商」とは逆の序列となる「商工業」、
資本主義社会にとってのほとんど全てであるこの商工業が、
そのまま人々の実用主義(プラグマティズム)を助長する元凶となっている。
実用主義だけでなく、同時に人々の動的没頭、多動(多働)への惑溺をも助長する。
大量労働をけしかけるだけではさすがに苦しくて労働者が付いてこないから、
スポーツやドライブやテレビ映画やセックスなどの、動的没頭を伴う遊興も共に促す。
産業革命による近代の過重労働発症の地であるイギリスも、
その精神を忠実に受け継いでいるアメリカやドイツや近代の日本も、
みんなこれらの文化に淫している筆頭格である。
プラグマティズムからの民度の低下は、
それなりに現実的な実情が多重に折り重って生ずるものだから、
「これさえしときゃいい」なんて風には言えない。
宝物的価値への見識教育、「商>工業」という序列の訂正、動的没頭偏重の潮流の廃絶、
その他いくらでも手立ては思いつくが、一つと言わず全部試みなければならない。
一つ覚えの多頭怪獣の首を、一つ残らず切り落として生き返らせぬように。
[YouTubeで再生]
江戸時代の日本の平均労働時間は今の半分だったというが、
その程度であってこそ、職人芸の工芸が最上級に育まれるということもある。
働いてない時間に、別にのんべんだらりと遊び呆けているわけでもない。
神仏への祈願だとか、武芸の研鑽だとか、師子の交流だとか、
人生の全てを有意義に過ごす生活習慣があった上での、半分程度の労働時間。
全人生のほとんど大半を費やすような労働時間の上に、
さらに飲みニュケーションを奨励するような現代日本の企業体質は、
昔気質と時勢迎合の虻蜂取らずであるが故に、ろくな成果を挙げていない。
人間、働いてなければ遊んでばかりいるとでも思ってるような連中は、
自分がそうだからそうと思い込んでしまう。動的没頭嗜好者ほどそういう傾向が強いし、
少なくとも世の中を取り仕切る資格を持たない人種でであるには違いない。
江戸時代の日本の平均労働時間は今の半分だったというが、
その程度であってこそ、職人芸の工芸が最上級に育まれるということもある。
働いてない時間に、別にのんべんだらりと遊び呆けているわけでもない。
神仏への祈願だとか、武芸の研鑽だとか、師子の交流だとか、
人生の全てを有意義に過ごす生活習慣があった上での、半分程度の労働時間。
全人生のほとんど大半を費やすような労働時間の上に、
さらに飲みニュケーションを奨励するような現代日本の企業体質は、
昔気質と時勢迎合の虻蜂取らずであるが故に、ろくな成果を挙げていない。
人間、働いてなければ遊んでばかりいるとでも思ってるような連中は、
自分がそうだからそうと思い込んでしまう。動的没頭嗜好者ほどそういう傾向が強いし、
少なくとも世の中を取り仕切る資格を持たない人種でであるには違いない。
>>44
生産性のない人間もコストのかかる人間もどちらも害悪という定説がまかり通っているのは
結局は責任転嫁の最たるものでね、お前らなんか持ちつ持たれつの関係なんだから仲良くしとけとw
そのバランスを維持できないから同情も生まれてこない、極端な事を言えば障害者も高みの見物してる役人も
野蛮人にとってみれば反乱分子にしか映らないわけです、しかも役人に至っては野蛮人を安易に抑制したり誹謗中傷も行うので
実は無抵抗の障害者よりもタチ悪い、ただ、その反動はしっかりあって、役人のフリをした野蛮人の現出、これはもう最悪であって
コイツらは弱者を率先して排除するからね、芽を摘むような事をする、まあ、これ以上は言わせるな・・・俺の発言によってガス抜きされても困るしな
恨みはないけど世の中が一向に良くならねぇからイラついてる、機能不全でコミュ障の薄らバカ共しかおらんのだろう
それと俺は広島と長崎にも訪れているが戦争反対なんて一度もした事がない、そういう人間という事だけ分かって頂きたいw
生産性のない人間もコストのかかる人間もどちらも害悪という定説がまかり通っているのは
結局は責任転嫁の最たるものでね、お前らなんか持ちつ持たれつの関係なんだから仲良くしとけとw
そのバランスを維持できないから同情も生まれてこない、極端な事を言えば障害者も高みの見物してる役人も
野蛮人にとってみれば反乱分子にしか映らないわけです、しかも役人に至っては野蛮人を安易に抑制したり誹謗中傷も行うので
実は無抵抗の障害者よりもタチ悪い、ただ、その反動はしっかりあって、役人のフリをした野蛮人の現出、これはもう最悪であって
コイツらは弱者を率先して排除するからね、芽を摘むような事をする、まあ、これ以上は言わせるな・・・俺の発言によってガス抜きされても困るしな
恨みはないけど世の中が一向に良くならねぇからイラついてる、機能不全でコミュ障の薄らバカ共しかおらんのだろう
それと俺は広島と長崎にも訪れているが戦争反対なんて一度もした事がない、そういう人間という事だけ分かって頂きたいw
>>46
近代戦争は、資本主義社会の権力者が自分たちの失政による経済破綻を
軍産複合体の稼働と庶民の犠牲によって補填することを目的とした代物だから、
今の社会体制に怒りを抱いているような人間が支持すべきものなどでは断じてない。
しかし、その資本主義社会の首魁であるユダヤ人が開発した核兵器によって、
良くも悪しくも大国間の全面戦争の道は閉ざされた。可能となるのはせいぜい
小遣い稼ぎ程度にしかならない弱い国いじめ止まりであり、それすらもが
北朝鮮のように核保有をされたのでは立ち行かなくなる。
ユダヤ人文芸家のサリンジャーは、代表作「ライ麦畑でつかまえて」の中で、
「汗臭い軍役なんかの意味がなくなった分だけ核兵器の発明を支持する」
と表明していたが、むしろ近代兵器に頼らないような、より汗臭くて
血なまぐさい伝統的武具の鍛錬を重んずることの価値は復興しようとしている。
よく、「徳川家康は信長や秀吉の政策を引き継いだだけ」などと言われているが、
むしろ武田信玄が「甲陽軍鑑」に遺したような、農業政策や伝統的武芸の重視を
引き継いだ面のほうがよっぽど大きい。それにより信長が好んだ近代兵器(銃)や、
秀吉が好んだ物量戦の盛況化を損なわしめ、近江商人や堺商人の強大化にも
歯止めをかけることで、織豊が成し得なかった天下泰平の世を実現するに至った。
>>43に書いたような近代的工業生産によって賄われる強大兵器の存在意義を損ない、
>>44に書いたような職人の仕事によって作り上げられる工芸的武具の価値を重んずる。
それでこそ、無闇な平和主義以上に真の泰平社会を招来させるに足る。
大坂の陣で家康公も南蛮製の大筒を大坂城に撃ち込んだように、最終決戦の時までは
近代兵器に頼る必要があろうとも、その後には大筒の砲身も溶かされて、越前康継の
名刀となったように、平時を司る武備へと速やかに転換し、後腐れを残さぬように。
武備の威力自体は明らかに弱体化するのだから、それでも満足できるだけの
職人芸の洗練もまたあってしかるべきである。
近代戦争は、資本主義社会の権力者が自分たちの失政による経済破綻を
軍産複合体の稼働と庶民の犠牲によって補填することを目的とした代物だから、
今の社会体制に怒りを抱いているような人間が支持すべきものなどでは断じてない。
しかし、その資本主義社会の首魁であるユダヤ人が開発した核兵器によって、
良くも悪しくも大国間の全面戦争の道は閉ざされた。可能となるのはせいぜい
小遣い稼ぎ程度にしかならない弱い国いじめ止まりであり、それすらもが
北朝鮮のように核保有をされたのでは立ち行かなくなる。
ユダヤ人文芸家のサリンジャーは、代表作「ライ麦畑でつかまえて」の中で、
「汗臭い軍役なんかの意味がなくなった分だけ核兵器の発明を支持する」
と表明していたが、むしろ近代兵器に頼らないような、より汗臭くて
血なまぐさい伝統的武具の鍛錬を重んずることの価値は復興しようとしている。
よく、「徳川家康は信長や秀吉の政策を引き継いだだけ」などと言われているが、
むしろ武田信玄が「甲陽軍鑑」に遺したような、農業政策や伝統的武芸の重視を
引き継いだ面のほうがよっぽど大きい。それにより信長が好んだ近代兵器(銃)や、
秀吉が好んだ物量戦の盛況化を損なわしめ、近江商人や堺商人の強大化にも
歯止めをかけることで、織豊が成し得なかった天下泰平の世を実現するに至った。
>>43に書いたような近代的工業生産によって賄われる強大兵器の存在意義を損ない、
>>44に書いたような職人の仕事によって作り上げられる工芸的武具の価値を重んずる。
それでこそ、無闇な平和主義以上に真の泰平社会を招来させるに足る。
大坂の陣で家康公も南蛮製の大筒を大坂城に撃ち込んだように、最終決戦の時までは
近代兵器に頼る必要があろうとも、その後には大筒の砲身も溶かされて、越前康継の
名刀となったように、平時を司る武備へと速やかに転換し、後腐れを残さぬように。
武備の威力自体は明らかに弱体化するのだから、それでも満足できるだけの
職人芸の洗練もまたあってしかるべきである。
大砲を溶かして刀剣に鍛え直させた徳川幕府は250年の泰平を実現した一方、
刀刃を溶かして始皇帝の巨像を作らせた秦帝国や、成金趣味の金ピカ茶室文化を
隆盛させようとした豊臣政権は、50年と治世を保つことができなかった。なぜか?
結局、始皇帝や秀吉は「質よりも量」という、戦国時代の価値観の潮流を
持ち越したまま平和を保とうとしたが故に、多くの庶民に重い苦役を科すなどの
悪癖を正すことができなくて、反感による潰滅を避けることができなかったのである。
共産主義なぞも、資本主義に代わる進化系の体制として提唱されながらも、
「質よりも量」に偏る点では資本主義をも上回る代物であったが故に、
労働の質の低下からの衰滅を資本主義以上に早く招くこととなってしまった。
必要なのは、どのイデオロギーへの一つ覚えな転換でもなく、
実用主義からの物量偏重に抑制をかけることであり、そのための手段として、
質の高い伝統文化や伝統工芸を重んじて行くこともまた挙げられることになる。
「量よりも質」に転換できるのなら、新しい文化文明に頼るのでも別にいいのだが、
現実問題、品質の高さというのは日々の研鑽の末長い積み重ねによってでなければ
実現されるものではないから、伝統を重んずることのほうが最善策ともなる。
資本主義であれ共産主義であれ、伝統を否定して無闇やたらな文化的革新を
囃し立てている程度に「質よりも量」であり、その程度が資本主義以上に
ひどかったものだから、共産主義も悲惨な末路をたどることとなった。
量よりも質を重んずるが故に、伝統を重んじ、新し物好きの妄動にクギを刺す。
古いものが何もかも良いとは限らないが、古いものを全否定する資格があるほど、
新しいものだけで質を追求する能力が人間にあるわけでもないのだから。
刀刃を溶かして始皇帝の巨像を作らせた秦帝国や、成金趣味の金ピカ茶室文化を
隆盛させようとした豊臣政権は、50年と治世を保つことができなかった。なぜか?
結局、始皇帝や秀吉は「質よりも量」という、戦国時代の価値観の潮流を
持ち越したまま平和を保とうとしたが故に、多くの庶民に重い苦役を科すなどの
悪癖を正すことができなくて、反感による潰滅を避けることができなかったのである。
共産主義なぞも、資本主義に代わる進化系の体制として提唱されながらも、
「質よりも量」に偏る点では資本主義をも上回る代物であったが故に、
労働の質の低下からの衰滅を資本主義以上に早く招くこととなってしまった。
必要なのは、どのイデオロギーへの一つ覚えな転換でもなく、
実用主義からの物量偏重に抑制をかけることであり、そのための手段として、
質の高い伝統文化や伝統工芸を重んじて行くこともまた挙げられることになる。
「量よりも質」に転換できるのなら、新しい文化文明に頼るのでも別にいいのだが、
現実問題、品質の高さというのは日々の研鑽の末長い積み重ねによってでなければ
実現されるものではないから、伝統を重んずることのほうが最善策ともなる。
資本主義であれ共産主義であれ、伝統を否定して無闇やたらな文化的革新を
囃し立てている程度に「質よりも量」であり、その程度が資本主義以上に
ひどかったものだから、共産主義も悲惨な末路をたどることとなった。
量よりも質を重んずるが故に、伝統を重んじ、新し物好きの妄動にクギを刺す。
古いものが何もかも良いとは限らないが、古いものを全否定する資格があるほど、
新しいものだけで質を追求する能力が人間にあるわけでもないのだから。
資本主義と共産主義の両成敗に不快感を抱くからには、
本人も資本主義者か共産主義者のいずれかであろう。
資本主義から共産主義に移行すべきではなく、
むしろ資本主義から共産主義的な側面を抜き捨てろと言っている。
にもかかわらず不快感を抱いているのだから、結局アカなんだろうな。
自覚はなくともおまえ自身が。少なくとも俺よりは。
本人も資本主義者か共産主義者のいずれかであろう。
資本主義から共産主義に移行すべきではなく、
むしろ資本主義から共産主義的な側面を抜き捨てろと言っている。
にもかかわらず不快感を抱いているのだから、結局アカなんだろうな。
自覚はなくともおまえ自身が。少なくとも俺よりは。
新型コロナ肺炎(感染症名COVID—19)」は、新型コロナウイルス(ウイルス名SAR
S—CoV—2)がヒトからヒトへ「飛沫感染」して発症します。まだわかっていないことが
多いですが、重症化する患者さんは、風邪(上気道炎。喉の痛みや発熱など。鼻から喉までの
炎症です)のような症状から肺炎(下気道炎。気道から肺までの炎症の一種です)へと移行し
てしまうようです。身体の入り口のほうの炎症が、より内臓のほうへと入ってきちゃう、とい
うイメージでしょうか。カゼやインフルエンザも同様ですが、身体の入り口(目、鼻、口)に
ウイルスが侵入する経路とは?岸田直樹医師(感染症コンサルタント/北海道科学大学薬学部
客員教授いわく、ほとんどは「手から口(鼻、目)」なんだそう。たしかに、冷静に考えてみ
るとわかります。くしゃみ、せき、唾液、あるいは汗、排泄物など、感染者の身体から出た「
飛沫(ウイルス入りの水分)」は、ふつうは直接、相手の顔にかかったりしません。そんな目
に遭うのは、つばを飛ばされても顔をそむけられない漫才の相方か、患者さんを治療している
お医者さんぐらいでしょう。だから感染症の医療関係者は、高密度の医療用マスクをしていま
す。手術用マスクなども同じ原理です。「医療用マスク(N95)は口周りを完全に覆うので
、ものすごく息苦しくて、とても日常生活で一日中装着などしていられません」(岸田先生)
飛沫が「何か」(つり革や手すり等)に付着して、さらにそれを触った人の手にくっつく。そ
して、ウイルスがくっついた手で目や口、鼻まわりを触ったことで、ウイルスが顔まわりに移
動し、それを体内に吸い込んでしまって増殖していくのです。「人間は、5分に1回ぐらいは
無意識に顔に手をもっていくものなんです。目をかいたり鼻を触ったり口に手をやったり。だ
から、ウイルスが人間の身体に侵入する経路として一番危ないのは手、なんです」(岸田医師
)「手で顔を触ったって言っても、口を直接触ったわけではないのに……」と思うかもしれま
せん。でも、人間は呼吸する生き物です。酸素を吸って、二酸化炭素を出す。シロナガスクジ
ラがプランクトンをが〜っと吸い込むみたいに、人間は口と鼻からたくさんの空気(微粒子)
を吸い込んでいるんです。
S—CoV—2)がヒトからヒトへ「飛沫感染」して発症します。まだわかっていないことが
多いですが、重症化する患者さんは、風邪(上気道炎。喉の痛みや発熱など。鼻から喉までの
炎症です)のような症状から肺炎(下気道炎。気道から肺までの炎症の一種です)へと移行し
てしまうようです。身体の入り口のほうの炎症が、より内臓のほうへと入ってきちゃう、とい
うイメージでしょうか。カゼやインフルエンザも同様ですが、身体の入り口(目、鼻、口)に
ウイルスが侵入する経路とは?岸田直樹医師(感染症コンサルタント/北海道科学大学薬学部
客員教授いわく、ほとんどは「手から口(鼻、目)」なんだそう。たしかに、冷静に考えてみ
るとわかります。くしゃみ、せき、唾液、あるいは汗、排泄物など、感染者の身体から出た「
飛沫(ウイルス入りの水分)」は、ふつうは直接、相手の顔にかかったりしません。そんな目
に遭うのは、つばを飛ばされても顔をそむけられない漫才の相方か、患者さんを治療している
お医者さんぐらいでしょう。だから感染症の医療関係者は、高密度の医療用マスクをしていま
す。手術用マスクなども同じ原理です。「医療用マスク(N95)は口周りを完全に覆うので
、ものすごく息苦しくて、とても日常生活で一日中装着などしていられません」(岸田先生)
飛沫が「何か」(つり革や手すり等)に付着して、さらにそれを触った人の手にくっつく。そ
して、ウイルスがくっついた手で目や口、鼻まわりを触ったことで、ウイルスが顔まわりに移
動し、それを体内に吸い込んでしまって増殖していくのです。「人間は、5分に1回ぐらいは
無意識に顔に手をもっていくものなんです。目をかいたり鼻を触ったり口に手をやったり。だ
から、ウイルスが人間の身体に侵入する経路として一番危ないのは手、なんです」(岸田医師
)「手で顔を触ったって言っても、口を直接触ったわけではないのに……」と思うかもしれま
せん。でも、人間は呼吸する生き物です。酸素を吸って、二酸化炭素を出す。シロナガスクジ
ラがプランクトンをが〜っと吸い込むみたいに、人間は口と鼻からたくさんの空気(微粒子)
を吸い込んでいるんです。
ウイルスはとても小さいので、口や鼻近くにくっついてれば、呼吸する力で吸い込まれちゃう
んですね。WHOも厚生労働省も繰り返し「手を洗って下さい」と言っているのは、そういう
ワケなんです。それでも、健康な人がマスクをしないでいい理由がまだ納得いきませんよね。
ここから、ものすごく基本的なことを調べてみました。まず、新型コロナウイルスの大きさ。
0.1ミクロンだそうです。インフルエンザウイルスとかとだいたい同じ。肉眼で見ることは
できず、電子顕微鏡でないと確認することはできません。ウイルス自体は0.1ミクロンなん
ですが、ウイルスを含んだ「飛沫」はどれぐらいの大きさでしょう? くしゃみをしたときに
ツバが飛ぶのは肉眼で見えますね。5ミクロン以上の大きさの粒子を飛沫というそうです。そ
して、ウイルスを含んだ飛沫(水分)は重いので、1秒間に30〜80cmのスピードで落下
します。感染者が「ゲホゲホ」と咳き込むと、2mm弱ぐらい先にまでウイルスが届く計算で
す。通常ならば、この時期にマスクが必要なのは、花粉症のためですね。花粉の大きさはどれ
ぐらいか。なんと20〜30ミクロン。大きいです!ただ、花粉は花粉そのものが花粉症を発
症させるのではなく、花粉についているアレルゲンたんぱく質(ユービッシュ小体内のCRJ
Y1)がアレルギーを発症させるので、その大きさもみておきましょう。それでも0.7ミク
ロン。ウイルスの小ささがわかりますねぇ。一般に市販されているマスクの微粒子除去フィル
ターを、大阪大学がヘリウムイオン顕微鏡で撮った写真が載っていました! スケールで示さ
れている「?m」がミクロンです。その写真を見ると穴の大きさは5〜10ミクロンですね。
「苦しくてずっとはしていられない」とお話ししていた医療用マスク、新型コロナ肺炎ですっ
かり名前を売った「N95マスク」とは、「0.3ミクロンの粒子を95%除去する」と謳っ
ている製品です。このマスクは一般用マスクよりもかなり細かい繊維を使っていますが、それ
でも完全密閉しているわけではありません(そんなことしたら息ができません)。
んですね。WHOも厚生労働省も繰り返し「手を洗って下さい」と言っているのは、そういう
ワケなんです。それでも、健康な人がマスクをしないでいい理由がまだ納得いきませんよね。
ここから、ものすごく基本的なことを調べてみました。まず、新型コロナウイルスの大きさ。
0.1ミクロンだそうです。インフルエンザウイルスとかとだいたい同じ。肉眼で見ることは
できず、電子顕微鏡でないと確認することはできません。ウイルス自体は0.1ミクロンなん
ですが、ウイルスを含んだ「飛沫」はどれぐらいの大きさでしょう? くしゃみをしたときに
ツバが飛ぶのは肉眼で見えますね。5ミクロン以上の大きさの粒子を飛沫というそうです。そ
して、ウイルスを含んだ飛沫(水分)は重いので、1秒間に30〜80cmのスピードで落下
します。感染者が「ゲホゲホ」と咳き込むと、2mm弱ぐらい先にまでウイルスが届く計算で
す。通常ならば、この時期にマスクが必要なのは、花粉症のためですね。花粉の大きさはどれ
ぐらいか。なんと20〜30ミクロン。大きいです!ただ、花粉は花粉そのものが花粉症を発
症させるのではなく、花粉についているアレルゲンたんぱく質(ユービッシュ小体内のCRJ
Y1)がアレルギーを発症させるので、その大きさもみておきましょう。それでも0.7ミク
ロン。ウイルスの小ささがわかりますねぇ。一般に市販されているマスクの微粒子除去フィル
ターを、大阪大学がヘリウムイオン顕微鏡で撮った写真が載っていました! スケールで示さ
れている「?m」がミクロンです。その写真を見ると穴の大きさは5〜10ミクロンですね。
「苦しくてずっとはしていられない」とお話ししていた医療用マスク、新型コロナ肺炎ですっ
かり名前を売った「N95マスク」とは、「0.3ミクロンの粒子を95%除去する」と謳っ
ている製品です。このマスクは一般用マスクよりもかなり細かい繊維を使っていますが、それ
でも完全密閉しているわけではありません(そんなことしたら息ができません)。
「つまりマスクは、大きな飛沫は制御できる(=だから咳をしたり鼻水が出るような人がすれ
ば、周囲には有効)、直接口を触らない効果はある、という程度なんです。ウイルスを完全に
防御することはできません」(岸田先生)飛び出たウイルス(入りの飛沫)が感染力を持って
いる時間はどれぐらいでしょうか? 新型コロナでは完全に判明していないので、インフルエ
ンザウイルスなどを参考にしました。平均で2時間〜8時間だそうです。ここでぜひお伝えし
ておきたいのが「飛沫感染」と「空気感染」についての違い。感染者の体内からウイルスが出
るときは「飛沫(水分)」に包まれて飛び出します。ぎっしり入ってる葛根湯顆粒(ウイルス
)は軟式ボール(水分)に守られてるわけです。ボールがペタっとくっついて、徐々に水分が
飛んで小さくなっていくわけですね。このとき飛沫に含まれたウイルスを医療用語で「飛沫核
」といいます。飛沫感染するウイルスの場合、飛び出た飛沫の水分が蒸発してしまうと、飛沫
核(ウイルス)は病原性(感染力)もなくなります。ところが空気感染する伝染病のウイルス
は、飛沫の水分が蒸発して「飛沫核」となってもウイルスがしぶとく生き残ってしまうのだそ
うです。これが「空気感染」です。飛沫核は小さいし、水分がなくて軽いですから、空気中に
ふわふわと漂い、時に隣の部屋まで動いていくことも。今のところ、「空気感染」する伝染病
は、3つしか発見されていません。結核、はしか(麻疹)、水ぼうそう(水痘)です。これら
はうんと粒子が小さいので、吸い込むと気道にくっつかず、その奥の肺胞までいってしまうと
か。
今回、新型コロナウイルスについて、WHOの報告書では「COVID—19の空中伝播は報
告されていない」とあります。報告書に「エアロゾル」という言葉が出てきてしまったため、
新型コロナは「空気感染」するんだ! と一時騒ぎになりましたが、どうも違うようです。エ
アロゾルというのは、空気中に漂う微粒子のことで、密閉空間では、この微粒子(エアロゾル
)にまれにウイルスがくっついてしまうことがインフルエンザなどでも報告されているそう。
そのことから、新型コロナでも念のため警告されているようです。新型コロナウイルスは、う
んと小さいです。だから換気しちゃえば、あっという間に蒸発して飛び散り、そこで伝染性を
失う。とにかく、密室はいけないってことですね。北海道で感染者が多いのも、真冬の北海道
ではなかなか「換気」という習慣がないからかもしれません。岸田先生「ちなみに唾液が一番
かかりやすいものはなんだか思いつきますか?」岸田先生「マイク、です」そういえば、大阪
のライブハウスから新型コロナウイルスの感染者が続出していますね……。カラオケボックス
は熱唱(つば飛ばし)、マイク使い回し、密室で食事、と感染危険要素てんこもりです。お母
さんたち、カラオケボックスだけはやめさせましょう。散歩してきなさい、と言えばいいんで
す。コロナウイルスはふわふわ漂ったりしませんから。そもそも誰も彼もがマスクをしている
今の状況では、誰が具合が悪くて誰が「なんでもない」のかわかりません。花粉症の人はマス
クがなくなっては辛いでしょうし、そもそも感染者で花粉症、なんていう人にマスクが行き渡
らないのは最悪です。花粉症の人は鼻やくしゃみ、涙など分泌物多いですから。「なんでもな
い人」は、とりあえずマスクやめてみませんか?
告されていない」とあります。報告書に「エアロゾル」という言葉が出てきてしまったため、
新型コロナは「空気感染」するんだ! と一時騒ぎになりましたが、どうも違うようです。エ
アロゾルというのは、空気中に漂う微粒子のことで、密閉空間では、この微粒子(エアロゾル
)にまれにウイルスがくっついてしまうことがインフルエンザなどでも報告されているそう。
そのことから、新型コロナでも念のため警告されているようです。新型コロナウイルスは、う
んと小さいです。だから換気しちゃえば、あっという間に蒸発して飛び散り、そこで伝染性を
失う。とにかく、密室はいけないってことですね。北海道で感染者が多いのも、真冬の北海道
ではなかなか「換気」という習慣がないからかもしれません。岸田先生「ちなみに唾液が一番
かかりやすいものはなんだか思いつきますか?」岸田先生「マイク、です」そういえば、大阪
のライブハウスから新型コロナウイルスの感染者が続出していますね……。カラオケボックス
は熱唱(つば飛ばし)、マイク使い回し、密室で食事、と感染危険要素てんこもりです。お母
さんたち、カラオケボックスだけはやめさせましょう。散歩してきなさい、と言えばいいんで
す。コロナウイルスはふわふわ漂ったりしませんから。そもそも誰も彼もがマスクをしている
今の状況では、誰が具合が悪くて誰が「なんでもない」のかわかりません。花粉症の人はマス
クがなくなっては辛いでしょうし、そもそも感染者で花粉症、なんていう人にマスクが行き渡
らないのは最悪です。花粉症の人は鼻やくしゃみ、涙など分泌物多いですから。「なんでもな
い人」は、とりあえずマスクやめてみませんか?
WHO「イブプロフェン服用避けて」風邪とコロナの区別は?
2020/03/19
WHO(世界保健機関)は17日、新型コロナウイルスに感染の疑いがある場合、抗炎
症薬「イブプロフェン」を服用しないよう注意喚起した。14日にフランスのベラン保
健相がツイッターで〈イブプロフェンなどの抗炎症薬の服用は感染を悪化させ得る〉と
警告していた。
都内の薬局。30種類以上の市販の風邪薬が置いてあったが、半数以上は「イブプロフ
ェン」の成分が含まれていた。どれも成分表のトップに記されている。店員の薬剤師は
「強めの風邪薬にはたいていイブプロフェンが含まれています。発熱、痛み、炎症を抑
えるのに強力な効果があります」と話した。
イブプロフェンなど抗炎症薬が体内の免疫機能を軽減させる傾向があり、感染症の患者
にとって危険が伴うという。発熱時、コロナ感染と知らずにイブプロフェン入りの風邪
薬をうっかり飲んだら大変だ。しかし、症状から風邪かコロナかの区別はつけられない。
医学博士の米山公啓氏:「発熱することで免疫能力が高まり回復に向かうのですが、3
7・5度ほどの熱の段階で、イブプロフェンのような強力な解熱剤を服用すると、熱が
下がる一方、せっかく高まりつつあった免疫力が低下してしまうのです。37・5度程
度では、解熱剤を服用しない方がいいでしょう。もし、38度を超えて食事や水分摂取
がままならない状態になれば、解熱剤服用ではなく、コロナかどうかも含めてすみやか
に医者にかかるべきです」 コロナ禍が過ぎ去るまで、安易な解熱剤の服用は避けた方
がいい。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/27066...
2020/03/19
WHO(世界保健機関)は17日、新型コロナウイルスに感染の疑いがある場合、抗炎
症薬「イブプロフェン」を服用しないよう注意喚起した。14日にフランスのベラン保
健相がツイッターで〈イブプロフェンなどの抗炎症薬の服用は感染を悪化させ得る〉と
警告していた。
都内の薬局。30種類以上の市販の風邪薬が置いてあったが、半数以上は「イブプロフ
ェン」の成分が含まれていた。どれも成分表のトップに記されている。店員の薬剤師は
「強めの風邪薬にはたいていイブプロフェンが含まれています。発熱、痛み、炎症を抑
えるのに強力な効果があります」と話した。
イブプロフェンなど抗炎症薬が体内の免疫機能を軽減させる傾向があり、感染症の患者
にとって危険が伴うという。発熱時、コロナ感染と知らずにイブプロフェン入りの風邪
薬をうっかり飲んだら大変だ。しかし、症状から風邪かコロナかの区別はつけられない。
医学博士の米山公啓氏:「発熱することで免疫能力が高まり回復に向かうのですが、3
7・5度ほどの熱の段階で、イブプロフェンのような強力な解熱剤を服用すると、熱が
下がる一方、せっかく高まりつつあった免疫力が低下してしまうのです。37・5度程
度では、解熱剤を服用しない方がいいでしょう。もし、38度を超えて食事や水分摂取
がままならない状態になれば、解熱剤服用ではなく、コロナかどうかも含めてすみやか
に医者にかかるべきです」 コロナ禍が過ぎ去るまで、安易な解熱剤の服用は避けた方
がいい。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/27066...
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