新型コロナ問題からのデマ情報によるトイレットペーパーの買い占め騒ぎを見て、
ああ、昔「存在価値と利用価値は相反する」というスレを立てたことがあったな、と思い出した。
「国宝重文級の名画のキャンバスになるような高級用紙では尻を拭くこともできないし、
価値がありすぎて日焼け予防のためろくに飾っておくこともできなくなったりする。
それと比べれば、トイレットペーパーは目に見えてよく人の役に立ち、
糞尿をなすり付けられて便器に流され、下水道で揉まれ溶けゆく」
云々という内容だった。
トイレットペーパーこそは、あらゆる物品の中でも最も実用性が高い一方、
宝物的価値が最も低い(ように作られた)物品でもある。
人間、物欲まみれで高価な財宝などを好んで買い込む姿は、いかにも成金じみて悪趣味に
なりがちなものだから、貧乏の言い訳も兼ねて高級品を極力避けるぐらいのことは良くある。
しかし、だからといって物欲が全てなくなるわけではなく、トイレットペーパーのような実用品を
買い込もうとする意欲や、物を買う手立てとしての金を貯める意欲まではなかなか捨てようとはしない。
この、完全に物欲を捨てられているわけでも、物欲が洗練されているわけでもない状態、
「実用主義に駆られて未洗練な物欲を募らせている状態」こそは、最も人々の民度を低からしめる元凶となる。
だからこそ、トイレットペーパーがデマに踊らされた愚かな買い込み騒ぎの最たる標的ともなっている。
かような醜態を防いで行くための手段は二つ、本当に物欲を全体的に抑制させるか、もしくは
物欲をもっと洗練させるか。後者のほうがむしろ容易なのに、誤解されて敬遠されがちなことよ。
返信する