走ると前しか見えない


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001 2020/02/14(金) 02:44:52 ID:g40Ri2LiLI
自分の足で走るのでも、自転車でもバイクでも車でも、
速く走れば走るほど、流れ過ぎて行く景色を目が捉えきれなくなって
視野が狭まり、最後には前の一点しか見えなくなる。

この感覚に麻薬的な快楽を催すのが、いわゆる「スピード狂」であり、
レーシングドライバーなども技術が伴っているだけでみんなそうだから、
シューマッハも専門外のスキーで無理をして事故を起こし、
半分帰らぬ人となってしまったのである。

この、スピード狂に準ずるような性向を帯びている人間の、昨今なんと多いこと。
ただ「走る」という行為に限らず、なんらかの活動に勤しんでいること、
仕事でも遊びでもなんでもいいから一意的な行動に没頭することで
視野が狭窄化し、周囲が見えなくなることに惑溺する者たち。

社会的にそういう人間が多数化してしまっているのは、
それだけ目を背けたい現実がそこら中に溢れ返っているからでもあろう。
かといって現実逃避のために何かに没頭しているのでは、それがたとえ
よく稼げる仕事であろうとも、世の中の改善に与することはない。

己が性分がスピード狂であることから脱却し、
しっかりと立ち止まって深い呼吸を心がけることで、
四方八方全体を見渡せる超視覚的な感性を磨き上げることこそが、
悲惨な現実を今以上に建て直す、唯一の手立てとなるのである。

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002 2020/02/14(金) 02:55:27 ID:vKtZNAWnwo
そんなことないよ?
周りもみるけど?

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003 2020/02/14(金) 03:00:51 ID:dUfanBge2I
光速を超えれば自分の裏側が前方に見えるようになるぞ、
自分の時間の流れも早くなるほどゆっくりになる
光速を超えろ

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004 2020/02/14(金) 03:14:28 ID:wIQx319AVQ
後ろが見えていない、周囲のものが見えていないドライバーは総じてヘタクソ
ヘタクソというか速度に応じた反応のアクセラレータが効かない適応音痴
つまりやっぱりヘタクソ
のほほんと歩いてると見逃すようなことを運転中の方が逆に察知出来る事もある

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005 2020/02/14(金) 03:21:37 ID:MNwEOMGdN6
250越えると明らかに視界狭まるよね

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006 2020/02/14(金) 03:21:55 ID:THUtSsEFDo
スマホは前すら見ない

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007 2020/02/14(金) 03:25:42 ID:g40Ri2LiLI
[YouTubeで再生]
>>2 >>4
常人が、本当に前以外全く見てられなくなるのは、時速250kmとか300kmとかの領域。
制限速度120km/hな日本の高速道でもそんな体験はできない(してはいけない)。

ただ、100km/hとか60km/hとかでも見えなくなるものは見えなくなるし、
5km/h未満で歩いているか止まっているかでも、景色は様変わりする。

ADHD系の性向を帯びている人間は、止まった状態だと周囲の視覚情報が多すぎて
脳が処理しきれなくなって混乱するから、ある程度動いていたほうが情報が減って
うまく処理できるということもあるだろう。これがスピード狂に至る一因でもあろうか。
認知症の年寄りが徘徊をしたがったりするのも同じ理由だと思われる。

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008 2020/02/14(金) 04:04:08 ID:m8Eq/vuNJA
全てを忘れてのめり込む、没頭するという性癖をスピード狂に例えたのは
精神病理学としてとても興味深く面白いです。ご自身の説でしょうか。

スピード狂はともかく、一時期の過集中は必要な面、良い面もあります。
目的達成のための修練や、高い創造性・芸術性の獲得など
若い時期に自分の人生を切り開く助けになったケースも多いと思いますよ。

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009 2020/02/14(金) 04:10:04 ID:rURUeuNLZA
「視野狭窄」で済むものを長々と。

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010 2020/02/14(金) 08:50:34 ID:g40Ri2LiLI
>>9
視野狭窄が多動によってもたらされるという説話。
それが現実逃避の手段にされているという問題の提起。
長文になっただけの情報量はまた別にある。

>>8
既製の説にも似たものがあるかも知れないが、
近ごろ諸々の実地経験と共に、自分で思いついた説ではある。

ADHDや認知症の一部の症状として、
視覚情報を処理する後頭葉が萎縮し、目に入って来るもののほとんどを
理解することができなくなる、そのため活発な活動によって視界に
入って来るものを限定化することで、情報処理を円滑化しようとする。

ということがあるのではないかと。
明確な精神障害とまで言えない範囲で、そういう傾向がある人間もまたいて、
物事に没頭する能力がある種の才能として開花する場合などもある。

ただ、そのような症状に苦しんでいる人間も多いし、
現実逃避の手段として悪用することで人の迷惑を顧みない人間などもいる。
ブラック企業などは、特にそういう社員や上司で回されている場合が多いように思う。

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011 2020/02/14(金) 09:03:35 ID:Nx3lQ5oeOc
すげー恣意的考察だな。明明後日の方向すぎて顎がはずれて直らんわw

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012 2020/02/14(金) 09:26:18 ID:rURUeuNLZA
>>10
「思う」のは勝手だけど、なんの数値的・科学的データも無く「思う」一本で強弁されても意味無い。
自分のアイディアを素晴らしいものと思うのは誰にでもある事だが、それを外部にアウトプットする前に考えを補強するための行動をしたらどうだい。
それともそれは面倒くさいから色々言い訳してやらない方向なのかい。

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013 2020/02/14(金) 09:55:42 ID:m8Eq/vuNJA
>>現実逃避の手段として悪用することで人の迷惑を顧みない人間などもいる。
>>ブラック企業などは、特にそういう社員や上司で回されている場合が多いように思う。

これは客観的な判断が難しいかも知れませんね。
私は、その個人の没頭の対象がひとつの基準になるのではないかと思います。

例えば没頭の対象が、没頭させることを目的に予め用意されている商業的な何か、
芸能人やスポーツチームのファン、ゲーム、既存のホビー、もろもろのエンターテインメント、等々。
そういうものに過度に熱中する、一過性でなく長期に渡って思考と生活の大半を占める人。
上のブラック企業のくだりも、その類型だと思います。

こういう人たちが実際増えたかどうかは分かりませんが、
まあ、良い悪いは別にして現代社会では多数派なのではないかと思っています。

それとは別に、一時期な没頭や過集中によってより良き人生を切り開く人は対象が創造的です。
また対象が既存のものであっても、自己の基準、独自の取り組みをするタイプであると思います。

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014 2020/02/14(金) 10:23:06 ID:Nx3lQ5oeOc
人間が動き回る程度の速度でもたらされるのは狭窄型集中ではなくむしろ情報が増える事による拡散。
そもそもドライバー狭窄は、視覚野で処理仕切れないほどの景色の流れと、死ぬかもしれないという恐怖によってもたらされる集中。

多動性とは拡散思考が体現されたもので、決して情報を減らすための手段ではない。
ただ体を動かすことによって、情報をふやしそれの処理のために集中力がたかまると言うことはあり得る。

基本的に人間は集中、特に没頭型集中をしている方が幸福だし健全。瞑想が正にその方の集中。
自分の体制感覚や感情、周囲の環境に敏感に気づく、気づきの瞑想、拡散集中というのもあるかもしれないが、
今の人間は狭窄型集中ではなく、むしろ何事にも集中を持続させることが出来ない拡散状態にあるのが、不幸の原因。
情報過多で何時でも何でも出来て、常に知らせが来るスマホなどの影響が強い。
常にもっと面白いもの楽しいことブームを索敵しまくり、時間を効率的に使おうとした結果、集中をもたらすリラックスすらできず、
味も分からないままいろんな食材を食い散らかしてる状態。これは拡散状態という。

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