縄文時代やったらお前らはもう死んどる
偽者めいわすいさ~んのスレ
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001 2021/09/07(火) 16:17:30 ID:R8mLEzRIZM
縄文時代の平均死亡年齢が男性で31.1歳、女性で31.3歳だったそうな。
過酷な環境だな。
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002 2021/09/07(火) 16:27:51 ID:MNu8O.h/xU
003 2021/09/07(火) 16:30:39 ID:4KLmChyxPY
高1で盲腸になったからその時死んでるな 俺 今56
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004 2021/09/07(火) 16:34:31 ID:Ix85JRySjo
>>1 平均寿命が低いのは、
赤ちゃんの死亡率が高いってことだよ。
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005 2021/09/07(火) 16:35:57 ID:MNu8O.h/xU
楽しいな 楽しいな おばけは 死なない病気もなんにもない
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006 2021/09/07(火) 16:36:19 ID:ggy5lPNy8M
確かアフリカのシオラレオネ辺りは、今も平均寿命が46歳くらいだと聞いたよ。
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007 2021/09/07(火) 16:48:42 ID:WkL5UkKfT.
>>1 過酷なんじゃなくて、それがナチュラルな寿命
15くらいで子ども作る→ 孫の顔を見て死ぬってのがデフォルト
農耕社会を始めると50、60歳くらいまで延びる代わり、不自然なストレスが増え、人間同士の蹴落と合いが起きる
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008 2021/09/07(火) 16:50:40 ID:D.hwZGYvZo
009 2021/09/07(火) 16:50:47 ID:2QRbtMxXU2
毎日のように森や海で狩猟生活なんて健康な状態でも辛いな。怪我や骨折でもしたら他の人の助けがなければ直ぐに死んじゃうし。冬の海に木船で漁なんて寒いよ。
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010 2021/09/07(火) 17:33:41 ID:D.hwZGYvZo
あと
蚊とかアブとかダニとかな。薬なんて碌なの無いだろうし
寝床や飲料水の確保も
狩猟採集っても凄くスキルが要ると思う
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011 2021/09/07(火) 17:43:20 ID:wvapKxLYd6
でもみんなのご先祖様は縄文人なんやで、感謝しとけよ
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012 2021/09/07(火) 17:53:24 ID:mSb9X8Phkc
江戸時代でも1歳の誕生日を迎えることができない赤子は多かった。
だからたくさん子供作ったんだよ。
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013 2021/09/07(火) 18:52:09 ID:0GdNdQ.Lzk
江戸時代でも大名の子供5人全員が幼くして病気などにより死亡とかあったからな。
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014 2021/09/07(火) 21:26:05 ID:WG744H/DkE
>>11 絶対違うと思いますw
ピザの発祥が朝鮮だと言ってるのと同じでしょw
そんなわけあるかーいw
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015 2021/09/07(火) 22:31:55 ID:uD1J8vGyM2
いや、俺は焼物の町で育ち、
小中高と陶芸を学んできたから神と崇められるであろう。
虫歯も風邪もひかないタイプだから大丈夫。
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016 2021/09/07(火) 23:06:29 ID:hTWHi76Edg
0歳で死亡3人
100歳まで長寿2人
平均年齢40歳
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017 2021/09/07(火) 23:33:10 ID:J8PIXrTQOo
足腰立たなくなって はいずり回ってオムツして
もう誰が誰だかわからなくなってまで生きたくないな
70ぐらいが寿命でいい
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018 2021/09/08(水) 00:07:18 ID:EiCsy.yRaI
>>3盲腸は自分で治せます。
中1の時に、盲腸と診断され。明日切るからと言われて、ビビって盲腸を一日中マッサージして糞しまくったら治りましたよ。
要は、腐った物が溜まってるので出せば良いんだと思う。
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019 2021/09/08(水) 01:02:16 ID:cRec7SWOa.
縄文ガー、エドガー言うてる奴、見て来たんかい!
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021 2021/09/08(水) 02:22:50 ID:dkmNUDyqoc
>>20 そりゃ隠居する年齢の遅い方だろ
女性の早逝傾向はあるが50代はざらにいて6-70代も多い
信憑性に問題はあるけど123を過ぎてもなかなか死なないので即身仏を選択した例もある
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022 2021/09/08(水) 02:31:11 ID:VqnXwXFabY
>>~江戸時代でも多産だった・・・
??
殿様あたりが跡継ぎを増やす為にたくさん産ませた事は分かるけど、庶民がそんな時代にたくさん子供を産んだのかなぁ!?
明治?~戦前頃は、兄弟姉妹も多くたくさん産んだと思うけど。
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023 2021/09/08(水) 17:55:59 ID:WBW0TQs8.M
024 2021/09/09(木) 11:28:16 ID:8IaUktmFQU
>>1の話でいえば、乳幼児世代を除いた「最多死亡年齢」で見なきゃ意味ない気が
とりあえず俺ら大人になれたんだし、江戸時代だって年寄りの享年をみると70や80ざらにいるし。
ちななみに東日本大震災で津波にあった三陸地方はかつて
「誰も寿命まで生きられない地域」と呼ばれたんだ。
5.60歳くらいになって足腰弱りだした頃、その周期で来る津波に淘汰されちまうから。
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025 2021/09/10(金) 11:57:55 ID:RTYsqzm4VA
靴を履かないから水虫にならず、歩くだけで足つぼマッサージが出来るから100歳まで生きる。
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026 2021/09/10(金) 12:27:01 ID:K1eA/jqpkQ
>ほぼ三万年前に、日本人は世界で打製石器ではなく磨製石器を開発した、最初期の民族の一つとなっている。イギリス考古学では、磨製石器は旧石器時代と新石器時代を分ける、偉大な文化的進歩だと見なされている。でもイギリスでそれが登場するのは、七千年前にも満たない、農業到来以降のことだ。
>世界最古の土器は、12,700年前に日本で作られたものだ。この早期年代が計測されてから 40 年近くたったが、考古学者たちはいまだにこの炭素 14 の計測結果と呼ばれるものに驚いている。肥沃な三日月地帯やヨーロッパに比べて、日本の土器は数千年も古い。
>縄文人は、狩猟採集民としては史上最高クラスの人口密度で暮らしていた。特にナッツの豊かな森林、鮭の季節、生産性の高い海のある中央日本と北部日本ではそれが顕著だった。縄文時代の日本の人口は最高25万人——もちろん現代日本と比べればわずかだが、狩猟採集民としては相当な数だ。現代でこれに比肩する規模といえば、太平洋北西岸やカリフォルニアのアメリカインディアンくらいだ。かれらも同様にナッツの豊かな森林、鮭の季節、生産性の高い海を持っている——人間社会の収束進化の事例としては見事なものだ。
これまでは縄文人が何を持っていたかについて強調してきたので、何を持っていなかったかについてもはっきりさせておこう。集約農業はなく、そもそも少しでも農業があったかもはっきりしない。犬(そしてひょっとしたらブタ)以外は家畜もなかった。金属道具も持たず、書字も布もなかった。縄文集落や墓地は、豊かな装飾付きの家や墳墓が、他の特色のないものと対比されているような構成にはなっていない——つまり首長と平民といった社会の階層化はほとんどなかったということだ。土器の様式の地域ごとの差を見ると、政治的な中央集権化や統合に向かう様子はあまりない。こうしたマイナスの特徴はどれも、縄文時代の日本からほんの数百キロ離れていただけの、中国や朝鮮の同時代社会とは著しい対照を見せている——そして、400BC 以降に日本自体を襲った変化とも好対照だ。
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027 2021/09/10(金) 12:39:14 ID:K1eA/jqpkQ
当時の東アジアにおいてさえ特異だった縄文日本といえど、完全に孤立した世界ではなかった。土器と黒曜石の分布を見ると、縄文時代の船舶が東京から南に290キロ伸びる伊豆諸島を往き来していたことがわかる。土器、黒曜石、釣り針なども、縄文人が朝鮮、ロシア、沖縄と取引していたことを示している。すでに述べたような、本土の作物半ダースほどの到来もそれを告げている。でも縄文時代の日本を研究する考古学者たちは、中国からの直接の輸入品はほとんど見つけていない。その後の日本に対する中国の大きな影響とは好対照だ。後の時代に比べると、縄文時代の日本で驚異的なのは外部世界との接触が多少はあったということではなく、その接触が縄文社会にほとんど影響しなかったということだ。縄文時代の日本は、保守的なミニ世界で、一万年にわたり孤立を保ち、ほとんど変化しなかった——脆弱で急変する当時の世界の中で、安定の島だったのだ。
日本から対馬海峡と東シナ海を渡ってすぐのところで、これだけの発展が数千年にわたり起こっていたのに、日本が朝鮮と交流があったとはいえ 400BC の時点でまだ文字もなく、石器を使う狩猟採集民に支配されていたというのは驚くべきことに思える。金属兵器を持ち、高密農業人口に支えられた中央集権国家は、石器使いの低密の狩猟採集民など一掃してしまうのが人類史の常だ。縄文時代の日本はどうやってそれを長期間生き延びたのか?このパラドックスへの答を理解するには、400BC までの対馬海峡は、豊かな農民と貧しい狩猟採集民を分断していたのではなく、貧しい農民と豊かな狩猟採集民を分断していたのだ
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028 2021/09/10(金) 13:19:01 ID:K1eA/jqpkQ
受傷人骨からみた縄文の争い 比較と考察
弥生時代の戦闘について、「背後からの殺傷」が多いことに注目した。「背後からの殺傷」から想定できる「奇襲・襲撃・伏兵・裏切」などの小規模な戦闘スタイルは、人類学・民俗学でいう「未開戦」において特に頻繁に行われている戦術である。このことから弥生時代前半は「背後からの殺傷」や、弓矢を中心とした戦闘は小規模・又は儀礼的な戦闘であった。しかし中期以降は大量の受傷人骨が検出されるようになることから徹底的な死闘(集団戦)こそ組織的に実行される軍事行動、「戦争」につながっていく。よって弥生時代の戦闘は「戦争」へと移る過渡的な「未開戦」段階であったと評価している。一方、縄文時代では以下の 4 つの傾向が見られる。(1)背後(または側面)からの殺傷(2)1 対数人(少人数)形式(3)頭部破壊(4)道具・戦法が狩猟と類似接近戦において弥生時代は、「背後からの一撃」が多いのに対し、縄文時代では一撃ではなく二撃、それも別々に人によるものである点が異なる。このことから 1 対 1 よりも、1 対数人で殺傷することが主流であったと考えられる。また、縄文時代では頭部の破壊が目立つ。未発達の武器で相手を確実に殺すことを考えれば、石斧で頭部を殴打することが一番確実であることから、おそらく縄文時代ではこの方法が主に取られていたのであろう。闘争が少人数であったが故でもあると考えられる。
多数で取り囲むことができれば「一撃必殺」を目指す必要はなく、縄文時代の様に頭部を狙う必要も、高所で待ち伏せる必要もない。つまり、一撃ないし二撃必殺を理念とする殺傷方法は少人数による殺傷であることを示している。
縄文時代の戦術は未熟であり、対人の戦術として確立してはいないことから、縄文時代の戦闘技術はあくまで狩猟技術の延長線上に位置づけられるものである。この点において明確に人を指向した戦術や武器が出現する弥生時代以降の殺傷パターンと縄文時代の殺傷パターンは異なるものであり、縄文時代は明確な殺意のもとに狩猟技術を応用した戦闘が行われていた時代であると位置づけることができる。その戦闘技術は弥生時代では廃れてしまう歴史的な戦闘技術であり、「けんか」の類とは意味が異なる。弥生時代に比べて戦闘技術が発達していないことは事実であるが、それは社会組織と武器に制約されていたが故であり、縄文時代は縄文社会特有の戦闘行為が行われていた時代であるといえる。
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