>>24 大筋で言えば、侵攻中に皇帝が病気になる、後継者争いというか、お家騒動
戦争なんかしている時ではない、一時撤退、その間に欧州では対モンゴル対策が進行
侵攻を再開するも以前のような破竹の勢いでの進撃は出来なかった
豊臣政権の朝鮮出兵に似てなくもない
似ていると言えば朝鮮出兵の頃には日本は銃大国だった
今現在の半島の人達は、漢字(文字)その他すべてが半島経由で日本に渡来したから
鉄砲も半島経由だと主張するが、銃の場合半島経由をバイパスして渡来したからねぇ
当時の半島には銃はなかったのよ
因みに唐辛子も豊臣軍が半島に持ち込んだもので唐辛子文化=朝鮮起源ではないけど
で、その銃が威力を発揮していた訳だけど日本軍から朝鮮側に寝返った一族がいた
鉄砲を生業とする雑賀一族(ではないか?と言われているが)で、それが間違いなく
日本側の進撃を止める一助になった
モンゴルの場合は、モンゴル軍の一翼を担っていたタタール人が欧州側に寝返った
それによって対策(対騎馬戦術)が進んだ
ま、上に書かれていることは、どれも一理あって
でも、少なくとも当時の政権(源氏)はセオリーや慣習を破って「なんでもあり」な
戦い方で平氏を倒したわけで、勝つためには手段を厭わない、時として掟破りの無頼の輩
だったわけで夜襲なども含めた遊撃戦に持ち込むと相当に強かったと思うから
それなりに手を焼いた?いや、全土制圧は困難だったと思うけど
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