昔のミリオンヒットについて


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001 2021/03/27(土) 04:49:44 ID:jHWpntDt.s
今でいうAKB商法と似た側面ってあるような気がするんだよね。
それがどこの資本か知らん(アラブか香港かチャイナ)か知らんけど日本の音楽というジャンルを産業の歯車に持っていきたい大企業があるとする。
そしてそこに海外の投機マネーが一気に雪崩込みとてつもない化物市場へと変えゆき互いに膨大な利益を生む、という構図。
秋元の考えたAKB商法はその国内限定の縮小版として見てもいいと思う。ただここでの違いはオタは銭失いの見返りの薄さ という位置づけか。

これって大いに有り得る話だとは思わないか?

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002 2021/03/27(土) 05:20:53 ID:0e//2RMm66
>>1
なんとシコリティの高いサムネイルだことw
まぁ坂井泉水さんも本名の蒲池幸子名義で日清傘下のレースクイーンに所属してたしなぁ。

当時はバブルで物は売れるし、スポンサーも引く手あまただったんだろ。

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003 2021/03/27(土) 05:26:24 ID:t1sw2TndU6
ビデオ安売り王でこの人のレースクイーン時代のヴィデオが売ってたな~

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004 2021/03/27(土) 05:28:09 ID:almJphCZlU
秋元康の弟は電通社員→akb48はcdが全然売れてない→電通パワーでシングル100万枚アルバム300枚売れたと全新聞と雑誌で嘘報道→akb48がトップ→akb48にテレビ出演cm出演の仕事がいっぱい入る→1流企業とakb48のコラボレーショングッズ発売→秋元康にコラボグッズの著作権料が入る
1流企業は年商1兆円そういうところからコラボ料をふんだくる


東洋水産 「AKB48 白い夏の塩ラーメン」
https://cupmen.org/blog-entry-1012.htm...

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005 2021/03/27(土) 05:33:21 ID:gPbyrH4.xQ
アキモト商法は、ホンモノの美人は苦手な池沼に
クラスに数人居るレベルの身近な女を、
CDと言う握手券を買えば手で触る事が出来ると
一度インプリンティングしてしまえば
障害者年金を何度も繰り返し巻き上げれる現象を
悪意を持って実践したもの。
これも一種の劇場型詐欺。
ところが最近は金を使える池沼も減って下火。
健常者から見れば、アホらしくて異様な光景。

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006 2021/03/27(土) 05:59:32 ID:t1sw2TndU6
わしが若いころビーイング全盛期だったが
あれは確実にマジモンのヒットだったよ
80年代のアイドルブームが下火になってザ・ベストテンが89年に終了し、しばらく音楽不況で空白期間があったのだが
90年代に入りテレビに出ない歌手(アーティスト)という謎めいた売り方でbz率いるビーイング歌手たちが次から次へと大ヒットを飛ばした
なんでテレビに出ないのに売れたのか?と言われるとテレビには出ないがドラマ主題歌やCMソングで毎日にようにテレビで曲が流れ
若者を中心に大ヒットしたのである。 これがマジだと言える証拠はなにより回りの友達がみんなビーイング系を聞いてたし
レンタルショップに行けば大量にレンタル中の札が付いたCDがあったのでイカサマでないとわかる 有線やスキー場、パチンコ屋などありとあらゆるところで流れてたね ビーイングブーム終了後90年代後半からは小室ブームへと移っていくのである

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007 2021/03/27(土) 06:06:42 ID:Ea78OrvAt6
天地まりちゃんだけが本物だけん

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008 2021/03/27(土) 06:38:41 ID:zS8j3uVWT.
日本のミュージックをダメにしたのは秋元や小室等

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009 2021/03/27(土) 07:00:37 ID:HqVtBJjB3o
>>6
そうか?当時CDTV見てたか?
あれだけ火が付いた渋谷系なんか全く出さない、ビーイングのゴリ押しありきでブームのフォーマットを作っていることがあからさまな不自然な構成だったぞ。
それまでのお茶の間音楽にロックバンドの背伸び感を加えて売っただけ。まあそれが売れたのは事実だけどな。
同時期ウンナンの番組で、何枚売れなければマスター破壊とかの脅迫商法なんかも常態化していて見苦しかった。

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010 2021/03/27(土) 07:30:58 ID:LMR4x8kqeo
[YouTubeで再生]
エミール・ベルリナー(Emil Berliner、1851年5月20日 - 1929年8月3日)は、ドイツ出身のアメリカの発明家。レコード盤蓄音機の発明で知られている。
1851年にハノーファーで、ベルリナーはユダヤ系の商人で学者の父とアマチュアの音楽家である母との間に生まれた。学校教育は14歳までで、その後は家族経営の生地屋で働いたが、普仏戦争の兵役召集を逃れるために、1870年には両親とともにアメリカに移住する。
移住後は呉服・生地屋で働いたが、「エレクトロニクス」に興味を持ち、クーパー・ユニオンの物理学と電気工学の夜間講座に出席した。その後いくつかの会社を経て、電気技術者としての腕を磨き、当時、評判になっていたアレクサンダー・グラハム・ベルの電話機に魅せられ、その改良案で送話器に関する特許を取得する。

ベルリナーは1881年にアメリカ市民になった。「グラフォフォン」が完成する前年(1884年)には、ベルリナーはベルの研究所から去り、独自の蓄音機の開発に進むことにした。
その後、1887年には後のレコードプレーヤーの原型である、円盤式蓄音機「グラモフォン」を作った。そして、1895年には「グラモフォン」の製造・販売のために「ベルリーナ・グラモフォン」という会社を設立する。
ベルリーナ・グラモフォンは、ビクタートーキングマシンを経てRCAレコードとなり、また、英国支店はグラモフォン・カンパニーを経てEMIへ、さらに、ドイツにおいてはドイツ・グラモフォンと、音楽業界に大きな影響を与える企業の源流となっている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%...

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011 2021/03/27(土) 13:33:00 ID:gPbyrH4.xQ
>>6

テレビに出ない作戦はフォークブームからだろ。
テレビに出ない派の井上陽水が日本初の
ミリオンセラーアルバム「氷の世界」。
その後、井上陽水吉田拓郎泉谷しげるらが作った
フォーライフレコードの初代社長は、
小室は小室でも小室等。

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012 2021/03/27(土) 21:43:53 ID:t1sw2TndU6
>>11
そんな昔の話知らんw

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