「大好きで思い入れのある往年の洋楽を、汚らわしい政治の話に結び付けられて腹たつムキー!」
っていう人間も、80‘s派と言わず90’s派と言わずいるのかもしれないがねえ。
エンタメを政治から切り離して愛でようとする近年の日本人の姿勢自体が、敗戦の悔しさや
不景気からの現実逃避でしかないわけで。江戸期を通じて大衆演劇の十八番だった忠臣蔵も、
公職者の集団引責自殺の持て囃しで汚職を防ぐという、政治的な目的性が伴っていたわけだし。
アメリカの洋楽の80年代から90年代にかけての大転換にも、全く政治的な意図がなかった
なんてことはなく、このまま電子楽器文化などの面で技術先進国だった日本に征服されるのを
黙って見過ごすわけにはいかないという思いが、特に共和党支持の人間などにあったには違いない。
だから、音楽的な新しさなんかなくてもいいから、アナログへの回帰を促したんだよ。
昔からガース・ブルックスみたいな、日本の演歌に相当するような保守的な音楽も一定の支持を
保ち続けているが、それらをもう少し若者からの支持も得られるように改変させて。
特定の人間による確信的な陰謀もあったかも知れないが、そうでなくたってアメリカ人は
大多数がそれを選択したんだ。今の民主党勢の媚中傾向などに対するのと同じように、
80年代までのアメリカの音楽界の日本製依存にも嫌気が差していたから。
そうやって政治的な意図も見失わないでいられるほうが、むしろ正気なのだし。
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