「人にものを教える=偉い」という錯覚


▼ページ最下部
001 2020/07/31(金) 08:26:13 ID:CDD2wQC3xw
特に、やんちゃで聞き分けのきかない子供に言うことを聞かせるために、
威圧的な態度で授業や指導を行いがちな小中高の教師などにありがちな勘違い。

もちろん、本当に偉大な人間で、なおかつ教育者であるということもあるが、
教育者が必ずしも偉大であるとは限らない。警察崩れで態度の悪い人間も多い
自動車教習所の教官のように、とにかく必要があって人に教える立場にある
だけという人間のほうが大半を占めているのが、世の中の実情である。

にもかかわらず、「教える側だから偉い」という勘違いにより、偉そうな態度で
生徒に接しようとする教育者や、逆に「教わる側は卑しい」という思い込みにより、
特に大人になってからは体系的な勉学をすっかり放棄し去ってしまうような連中が
世の人々の向学心を損ね、知的水準を引き下げる元凶になっているように思われる。

返信する

002 2020/07/31(金) 08:43:00 ID:lplVFhK6Fw
>>1
偉い!

返信する

003 2020/07/31(金) 09:04:03 ID:a9RQa1xPwQ
自覚症状を予め告げてるのを頭ごなしに否定して決めつけて、上から物を言うのが多いのがプライドの高い若い医者に多い。

返信する

004 2020/07/31(金) 09:10:45 ID:.79iFGONsM
頭ごなしに否定して決めつけて、上から物を言うのが多いのがプライドの高い若い……

ネットにうようよ居るな。

返信する

005 2020/07/31(金) 09:24:13 ID:BCgfBmerHo
肥満の人って、すごく自分は理論派で頭が良い、を装うよね
でも細かく突っ込むと、しどろもどろになる
俺の人生経験談

返信する

006 2020/07/31(金) 10:42:30 ID:pVTp9QOnsk
>>1の思い込みや錯覚がひどい。

ろくな学生時代を送ってこなかったんだろうな。

返信する

007 2020/07/31(金) 10:43:44 ID:CDD2wQC3xw
よく「右翼はバカ、左翼はキチ◯イ」と言われるが、
現代日本の右翼がいかにも低脳そうなのは、
左翼の牙城である日教組が先生組合であることも一枚噛んでいると思う。
つまり、「人にものを教えようとする人間の偉ぶり」への嫌悪。

街宣右翼に出資している財界なども、やはり反知性主義的な面がある。
財界人がよく子息をコネ入社させている電通やマスコミ業界も、
日本人を愚民化させるための馬鹿騒ぎ広告ばかりを好んで打ち出している。
これもやはり、学識者の偉ぶりへの反発意識を気概にしているものと思われる。

戦前に大日本帝国の国威発揚に協力的だった教師の中には、
戦後に教育界から追放されて、実業界に転身した者も多かったというから、
実は嫌う側も嫌われる側も同根なのである。「教育者であることは偉い」
という先入観に囚われている点では、右翼も左翼も同じ穴の狢なのであり、
ここに少なくとも、近代日本における左右対立の主因が垣間見られる。

返信する

008 2020/07/31(金) 11:01:47 ID:CDD2wQC3xw
>>6
少なくとも、北鮮の連中は>1に書いたような錯覚を総出でしているから、
まだ若くて見た目の威厳に欠ける金正恩が、老齢の幹部たちにも偉そうに
指導している姿を頻繁に宣伝することで権威づけようとしてるわけだ。

北鮮出身の力道山をもかつては羨望し、北なみかそれ以上に民度の低い
南鮮人からの間接支配を被った戦後の日本人が、同様な錯覚を
まったく犯してはいないなどと思い込むほうが無理のある話。

「上の立場だから下に恫喝する」というのが東アジア大陸特有の悪習で、
元来日本にはなかったものなんだが、全くそんな体験などしたことない人間が
今の日本にいるだろうか? 「教育者だから偉い」もその反映でしかないんだが。

返信する

009 2020/07/31(金) 11:02:11 ID:1.XSM2CNQ.
>>1
多分バイト先とかでクソみそに言われて自宅に帰り書き込んでるんたろーな。
俺は悪くない、周りが理解がないんだってな。
親に甘やかされて育ったオンリーワンなガキに多い症状。
診療内科の受信を進める。

返信する

010 2020/07/31(金) 11:06:22 ID:Lvp.YcNbXI
教えるは一刻の優越感
教えぬは一生の優越感と言うよね。

返信する

011 2020/07/31(金) 12:32:09 ID:.79iFGONsM
>>9
心療内科だけどな。

返信する

013 2020/07/31(金) 13:36:46 ID:CDD2wQC3xw
うーんちょっと意外な反応かな?

そんなに「教えられる屈辱」に苦しめられ続けてたんだ?

返信する

014 2020/07/31(金) 14:09:08 ID:kJVKxQEuFw
まさか自分が啓蒙活動してるのを、他人から見たら
なんだこの痛いキチは・・・なんて思われてるとか
認めたくないもんね

返信する

015 2020/07/31(金) 15:03:22 ID:OMO3FKuEIM
なんだよ・・
スレの主は あの笠地蔵 ってか・・・・。

返信する

016 2020/07/31(金) 15:43:43 ID:Vs3K3aDNPk
>>11
受診なけどな も突っ込んでおけよ

返信する

017 2020/07/31(金) 19:06:05 ID:WyViiCVPRM
教えを乞う態度は謙虚に見える。

返信する

018 2020/07/31(金) 21:15:46 ID:kwB0yvIFT6
タイトルは成る程と思ったけど同時に教えるって何かね?とも思った。

返信する

019 2020/08/01(土) 00:42:12 ID:SxcGcFgsqM
>>17
その「教えを乞うている姿はただそれだけで謙虚に見える」
という錯覚を、巧言令色の手段として多用する人間も多い。

正規の勉学の場でもない酒の席などで、
上司や意中の女を持ち上げていい気分にさせてやるために、
自分が話を聞く側に回り、なおかつ師匠に教えを乞う弟子のような態度まで見せる。

その実、何も学んでなどはおらず、ただ相手に気に入られるための
手段として、教えを乞う姿の謙虚っぽさを利用しただけである。

ただ、そういうのが飲みニュケーションにおける交流の実態の
大半を占めているし、そうやって不埒な手段によってでも人付き合いを
充実させて行ける者こそが、今の時代には「コミュ強」ともされている。

これまた、人々の誠実な向学による成長を妨げる元凶となる。
本当に勉強を尽くして有能さを蓄えた人間よりも、そんな向学心が高いフリを
してるだけの人間のほうが評価されるとなると、いわゆる「潤滑油」ばかりで
世の中が溢れかえって、総体の生産性も低下してしまうことになるわけである。

返信する

020 2020/08/01(土) 01:22:00 ID:tl6kpsXfpc
>>19
長いwww
所詮、処世術の出来ない人間のボヤキにしか聞こえない。

返信する

021 2020/08/01(土) 01:27:05 ID:SxcGcFgsqM
人にものを教えることに優越感を抱くことも、
教えられることに屈辱感を抱くことも、どちらもいらない。

教えることに優越感を抱いてしまう程度の知識なんて、たかが知れてるし、
教えられることに屈辱感を抱いてしまうような人間の向学心も、たかが知れてるから。

偉大な知識は、それ自体が偉大なのだから、それを知っているからといって
自分までもが偉くなったかのような錯覚は引き起こさないし、
また、その知識を体得して自分までもが偉大になれた場合においても、
人に教えることにいちいち優越感を抱いてしまうような自信のなさがなくなるから。
偉大な知識を人に教えることに優越感を抱くようなことは、原理的にあり得ない。

人間、一定以上に向学心が高ければ、人にものを教わる時の一過性の屈辱感よりも、
勉強によって自分が成長して行けることへの喜びのほうが勝るはずだから。
ものを教わる価値のある人間が、教わる屈辱に囚われるようなこともあり得ない。

つまらない知識を人に教えて優越感を抱くような人間や、
内心勉強嫌いなのに勉強好きなフリをして人に媚びるような人間は、
いつの時代にも一定数は生じるものだが、評価に値しない小人どもとして
捨て置かれる場合と、人間の理想像扱いにまでされる場合がある点が異なる。

ちゃんとそのような人種を警戒対象にして来た歴史のある日本と、
君子扱いにしてしまった歴史が長い中国や朝魚羊で、
民度に格段の差が開いてしまっているのも、これが真因である。
今は日本も他国のことを言えたような世情ではないから、
「人のふり見て我がふり直せ」というほかないが。

返信する

022 2020/08/01(土) 01:53:25 ID:SxcGcFgsqM
日本は昔から教育水準の高い国として知られているが、
江戸時代まで公職者たる武家は世襲で、藩校で基本的な勉学に勤しむ程度。
庶民は寺子屋で実学を適当に学んでいたぐらいという昔の教育制度だけを見ると、
厳酷を極める科挙試験で常に追い落としあってたはずの中朝ほどには、
教育や勉学に対してそこまで熱心だったようにも思われない。

にもかかわらず、幕末の時点で日本国民の識字率は世界でもダントツ。
西洋の学問もあっという間に理解して近代化も真っ先に果たした。
漢字の洋学用語も日本人が発案したものが多く、それがそのまま
他の漢字圏でも多く利用されているという始末。(逆はほぼない)

江戸時代までに義務的な勉学ではなく、欲求からの勉学をよく振興していたことが、
日本人の教育水準を他の東アジア諸国にも増して高める原動力となった。

義務教育が制定された明治以降、大正、昭和、平成、令和と時代を負うに連れ、
むしろ人々の向学心は萎えて、大学の教育水準も段違いに下がって行ってる。

別に義務教育を撤廃すべきとまでは言わないが、教育が無機質な事務作業化
することで、このスレの主題のような錯覚に囚われた粗悪な教学姿勢が
世の中に蔓延して行くことには、いい加減歯止めをかけて行くのでなければなるまい。

返信する

025 2020/08/01(土) 04:36:13 ID:SxcGcFgsqM
古代中国で、科挙試験の主要課題になっていたのは
「易」「詩」「書」「礼」「春秋」の五経(+滅亡前の楽経)だが、
「論語」「大学」「中庸」「孟子」の四書を朱子が推薦したしばらく後には、
この四書のほうが最低限の科挙試験における課題に成り代わった。

四書五経の全文や、「史記」「漢書」「後漢書」などの歴史書まで
体系的に学び込むのは、上級中の最上級の官僚に限られることとなり、
ほとんどの官僚は、朱子が五経の入門書として推薦した四書だけを暗記して、
そこまでで勉学の道を途絶してしまうようなことになり始めた。

たとえば今でも、Fランの理系大学の工学部に入学した学生が、
自身の学歴の低さへの引け目から、素粒子物理学や一般相対性理論なみの
最難関理学を勉強することは、独学の範囲でも諦めてしまったりするように、
一定範囲の学問の習得を義務付けられたせいで、かえってそれ以上の
学問への探究心が損なわれてしまうといった弊害が生ずる。

そのせいで、学問の習得を義務付けるような社会のほうが、
個々の向学心に任せる社会よりも知的水準が伸び悩み、
勉強嫌いの跳ねっ返りをより増産してしまう羽目に陥る。

近世の中国や朝魚羊が、知的水準や民度で日本に敵わなかったのもこのためだと思われる。
その傾向が20世紀末までは続いていたから、ノーベル賞受賞者の数でも日本が
突出しているが、この優位がいつまで保たれるのかは甚だ疑問である。

返信する

026 2020/08/01(土) 05:12:21 ID:SxcGcFgsqM
[YouTubeで再生]
明らかに、本人自身が流派の継承者たるにふさわしい技法の会得ぶりで、
高弟と比べても技のキレが数段以上違うことが見るに明らかなのだが。

にもかかわらずというか、だからこそというべきか、
教える姿は主に敬語で、自信のなさのせいか時に吃りがちでもある。

先祖から代々伝えられて来た秘伝を最大限に習得するも、
未だ完璧に体得したとまでは思っていないから、偉そうな態度も控える。

どの動画だったか忘れたが、「せっかく優れた技法を教わってるのだから精進なさい」と、
まるで自家の技法を他人事のように述べているシーンもあった。家伝が優れていること
自体は完全に信じきっているが、だからこそそれを鼻にかけるような真似は絶対しない。

「教える」ということはかくあるべきだし、そのような教育者側の謙虚さに甘えることなく、
自分自身の意思で真摯に学んで行こうとする姿勢こそが「教わる」姿勢でもあるべきである。

返信する

027 2020/08/01(土) 10:23:45 ID:SxcGcFgsqM
「人間、教える側に回れば偉く、教えられる側に回されれば卑しい」
という思い込みが蔓延してしまうと、これが「いらぬ論争」を招く原因ともなる。

議論というものを、あえて行う以上は、何が正しくて何が間違っているのかを
突き止めて、その正否を了解して物事への理解を深めるべきなのだが。

論議の結果、一方の意見は正しく、もう一方の意見は間違っていたと判明したとする。
すると、議論が決着した結果として、「正しかった側が間違っていた側に教え諭す」
というシチュエーションが自然成立することになる。そこで「教える側は偉く、
教えられる側は卑しい」などという思い込みが介在していれば、双方にいらぬ
優越や屈辱を抱かせることになり、議論が決着したにもかかわらず、
不必要なわだかまりを残したままとなってしまう。

このようなわだかまりが募りに募った結果として、
意見の正否などはどうでもいいから、とにかく論争に勝って誇り高ぶりたい、
「完璧に正しい他人の意見よりも、完全に間違っている自分の意見のほうが大事」
「私は自分の信じているものが完全に間違っていても、それを信じます!」
という、人と議論する意義や資格を全く失いきった与太者までもが生じることとなる。

こういった禍事や痴人を生じさせぬためにも、
教学と貴賤を同等に捉えるような倒錯は控えられてしかるべきである。
未だそのような心の矯正が行き届いていないからこそ、
世界中がオンラインかオフかに関わらず、ウ●コな論議で溢れかえっているわけだが。

返信する

028 2020/08/01(土) 10:44:46 ID:OTS7iVXcp6
029 2020/08/01(土) 11:04:27 ID:tl6kpsXfpc
030 2020/08/01(土) 11:24:20 ID:SxcGcFgsqM
M坊、おまえも昔、

「それでおまえは一体、俺に何を教えてもらいたいんだ?
おまえに教わることなんかは一つもないわけだが」

という確信犯の挑発にそそのかされて、存分にキレ散らかしてたよな?

その程度の連中が世の中の大半なせいで、
まともな議論の余地もあまりないわな。

日本人は、特にその傾向が強くて議論能力が低いと言われているが、
欧米人は、ただ単にある程度は意見の合う相手としか話さないだけで、
そこから逸した相手との話が通じない度合いなら日本人以上だ。
だからこそ、世界中で紛争の種を撒き散らし続けている。

世界は、話が通じない領域にあえて持ち込まれている。
本来ならもっと話のしようもあるところが、論争での勝った負けたばかりに
囚われる与太者が増えすぎて、その余地も不必要に狭められている。

最善を尽くした結果のどん詰まりではないからこそ、同情の余地もない。
俺があまり同情的ではないことにもそれなりの理由があるのだから、
だからといって逆恨みされたりする謂れもない、というわけだ。

返信する

031 2020/08/01(土) 14:55:55 ID:OTS7iVXcp6
・・・・・。

返信する

032 2020/08/03(月) 10:50:53 ID:4Sm5DPW.fo
「完璧に正しい他人の意見よりも、完全に間違っている自分の意見のほうが大事」
「私は自分の信じているものが完全に間違っていても、それを信じます!」

確信犯でなくとも、方向性がそちらに傾いてしまってるような人間。
痴話喧嘩状態にある女などはほぼそうであることで一律されているし、
志しを失った老害的年寄りもまた、保身目的で頻繁にそうなろうとする。

そのような人種への糾弾自体はよく行われているが、なぜそんな人種が
生じてしまうのかを分析することまでは、ほとんど試みられていない。

教育行為が、無駄な優越や屈辱を付随してしまっているのが
その原因の一つだし、教員や医者のような社会的権威を帯びた連中までもが、
そのような問題を正すどころか、余計に増長させているのが現状である。

ウンコな議論が世界中に溢れ返ったままでいるのも当然のことだし、
それを正そうとする気配すら見られないのが実情である。
ネット上での誹謗中傷に法的な罰則を科すような、
焼け石に水も程がある試みは見られるにしろ、な。

返信する

034 2020/08/03(月) 11:42:11 ID:m9fFvsAJl6
逆の見方だけどさ。
ここ、明和あたりでも、門外漢の素人のくせに、専門家相手に、幼稚で的はずれな意見を言う奴居るよね。
そんな輩相手なら、そら、専門家も高圧的になるわな。

返信する

035 2020/08/03(月) 12:13:34 ID:pUO/WvkNx6
>>34
     

返信する

036 2020/08/03(月) 13:01:58 ID:4Sm5DPW.fo
>>34
そういうのは、専門家のほうも半可通の上に、
聞く側もその生臭さを察知して舐めてかかってるケースだな。

本物なら畏怖のあまり、そんな痴話のしようもないから。
口を開けば痴話しかできないような愚人は、もはや黙って聞いてるしかない。

返信する

037 2020/08/03(月) 20:55:37 ID:jVv29p0Yec

三省堂 大辞林 第三版 索引トップ用語の索引ランキング凡例

ち わ [1][0] 【痴話】

愛しあう男女がたわむれてする話。情話。また、いろごと。情事。 「 −げんか」

返信する

038 2020/08/04(火) 00:18:48 ID:eLKwE9b18U
「痴話」じゃなくて「痴言」「戯言」というほうが正しいな。
明らかな誤りを改めることには吝かでない。

返信する

040 2020/08/04(火) 04:24:28 ID:ABqJN5gGoI
教える人をいい気分にさせるのは、情報共有の方便。
教えを乞う立場が謙虚を装うのは、なるべく沢山吐かせるためと、一旦自身が白紙化して乾いたスポンジになると拾い漏らしがないからという方便。
とかく世の中は方便で組まれ、ワラワラ湧いてくる新参への速やかなる情報共有実現の必要を満たす。

返信する

041 2020/08/04(火) 10:15:29 ID:eLKwE9b18U
上っ面だけのおだて上げなんかでいい気になるような人間なんて
ろくなもんじゃないから、教われることもたかが知れてるというのはあるが。

だからといって、友達か何かのように横柄に絡んでくる相手なんかに
うまくものを教えられるような曲芸師もなかなか居りはせんから、
人にものを教わる上では誠心誠意、礼を尽くすということがあって然るべきだ。

ただ、そのような姿勢を教える側が頭ごなしに強要したりするのはおかしい。
あくまで弟子の側の自発的な敬礼を本位とし、師もそれに受動的に応ずるのみとする。

それこそが理想だっていうのは、聞いてみれば誰にでも分かることだが、
案外できないもの。特に今の時代は小笠原流のような公式の礼法というものがないから、
教わる側もそれぞれに我流の修辞を凝らすしかなく、その巧拙のほうが、
教えられて伸びる素養の有無よりも重大化してしまっていたりする。

返信する

042 2020/08/04(火) 10:40:05 ID:eLKwE9b18U
俺は、今の時代の学校などでの正規教育よりも、
古武芸やヨガのような非正規扱いの求道行為の教育姿勢のほうを
色々と見聞して来ているから、そちらのほうが多くを語れはするが。

非正規で責任性が低いからこそ、正規教育と比べれば、
教える・教わるという行為に自明な優越や屈辱を伴わせようとする風潮は少ない。
ただ、自分自身がまさに武芸やヨガの達人である黒田鉄山氏のような人間が
主催する道場のほうが、より理想的な師弟関係を構築できている一方で、
自分自身が武芸やヨガの紹介者に過ぎないような「職業講師」止まりの
人間が主催している教室では、そううまくいってないことがままある。

武芸の場合は特に、偉そうな師匠や、それをおだてあげる弟子といった、
>40が言ってるようなおべっか使いの関係を来していることがよくあるし、
ヨガの場合は女の生徒が多いから、逆に講師が生徒をおだて上げるような
サービス業然とした関係を呈している場合が多い。

それでも学ぶ人間は学び、有意義な成果も時には挙げるのだが。
質の悪い師弟関係で得ることのできるものには、やはり限度がある。

歴史的に偉大なと言えるほど大きな成果に結実するのはやはり、
ツーと言えばカーほどに意気投合ができた師弟関係に限れるし、
それを実現するのはやはり、上に書いたような理想的師弟関係においてである。

道場や教室の規模でいえば、ある程度小さい所に限られてもいる。

返信する

043 2020/08/04(火) 10:57:21 ID:eLKwE9b18U
今では、一部の非正規教育の場でだけかろうじて成立しているような、
適度な敬礼を帯びた理想的な師弟関係を、もっと全体規模の、
正規教育などにも広めて行けるようにするためにはーー

「先生だから偉ぶる、生徒だから卑屈に」なんていう風潮は一旦、全廃してしまえばいい。
そこからもう一度、師弟関係というものを、必要に応じて再構築して行く。

俺がよく訴えている、正規教育の洋学本位から儒学や仏学本位への転換も、
その一助になり得ようし、スポーツやスポーツ武道ではなく古来の武芸を
体育教育の本位にして行くことなども、同様な効果をもたらすだろう。

儒仏や武芸の師といえども、時には無益な偉ぶりを来たすことがあるから、
そういった問題を行政が寺社奉行のような形でよく解消して行く必要もある。

他にも色々と手立ては思いつくが、机上の空論にするのがもったいない。

俺の脳内ではいくらでも無限に広がり行く人間社会の光に満ちた将来を、
一体どこまで現実社会から隔離させたままで置くつもりだろうかな。
損をしてるのは俺ではなく、世の中のほうなわけだが。

返信する

044 2020/08/04(火) 12:18:20 ID:8H92khAayI
>>37 >>40
さわるな きけん

返信する

045 2024/04/13(土) 18:18:08 ID:C0EFBHfFmA
森野「真面目にそんなこと考えてるの? だって私達ガチレズなのよ?ふふふ」

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:35 KB 有効レス数:40 削除レス数:5





討論・議論掲示板に戻る 全部 次100 最新50

スレッドタイトル:「人にものを教える=偉い」という錯覚

レス投稿

未ログイン (ログイン

↑画像ファイル(jpg,gif,png)