債務あれば鈍する


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001 2019/09/07(土) 18:59:35 ID:OSsfEops/o
バブル崩壊後の日本の、主に東京で、経済成長の伸び悩みや消費の冷え込みとは
相反するかのように、ニョキニョキと雨後の筍のごとく生え揃ってきた高層ビル群。
そのうちの特に最大級のものは、大体が東証一部上場の大手企業の本社ビルであり、
高度経済成長期やバブル期に使用していた旧社屋が老朽化して建て直したものである。

耐震設計にも万全を期しているから、見た目以上に多額の費用をかけて建てられている社屋群。
その管理維持費や融資の返済費、賃貸の場合の賃料なども馬鹿にはならず、それが昔は
世界的な新機軸をも多数打ち出してきた日本企業に新たな冒険を憚らせる原因にもなっている。

消費をより冷え込ませて国の経済成長を鈍化させるほどにも内部留保を溜め込んで、
社員の給料をさほど上げることもできなかったりする原因の一つでもある。

よく「貧すれば鈍する」というが、これは不正確な慣用句であり、より正確には
「債務あれば鈍する」である。貧窮して鈍磨するのも債務超過に陥ってる場合であり、
そうでなかった実例が、貧しくも毅然としていた昔の日本人など。たとえ金余り状態だろうとも、
それなりに諸々の債務を負わされている今の日本企業のように鈍重化してしまうこともある。

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003 2019/09/07(土) 21:16:04 ID:OSsfEops/o
人間、ある程度以上に大きいことを世の中で成そうとすれば、
どうしてもある程度の債務を負うことが避けられない。

昔の日本にだって、男なら妻子を養うための債務を負うぐらいで
やっと一人前という常識があったから、部屋住み(子供部屋おじさん)を
卑しむような風潮もあったのである。

ただ、「大きな債務を負える人間ほど偉い」なんていう風潮まではなかった。
今でいえば、銀行の大口取引の相手になれるような人や組織の長ほど偉いという。

いかに大きな債務を背負えるかではなく、いかに大きな社会的責務を負えるかが
より人の大きさを計るに相応しい基準となっていたから、大きな商売を成功させて
大金を設けた商人などよりも、先祖代々の権益の範囲内で役務を全うしたり、
それ以上の功績を挙げたりした君子士人のほうが尊ばれていたのである。

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004 2019/09/07(土) 21:39:46 ID:OSsfEops/o
「債務」とは、責務一般の部分集合であり、
純粋に金融化された責務一般のことを「債務」と呼ぶ。

債務以外の責務といえば、たとえば己れの技量や体力などをそのまま人に提供する責務のことだ。
工匠や軍人やスポーツ選手などは、この手の責務を負って相応の報酬を得ることも、得られないことも、
過剰に得てしまうこともあり、過剰に得てしまった場合にはそれが後々の人生における債務にもなったりする。

新々刀中最高の刀匠と評されている源清麿が、借金苦のせいで45歳で自殺したりしたのも、
本人が個人的な債務なんぞより、当代随一の刀匠としての責務を果たすことを優先したからである。

政治家や官僚ならば、世のため人のために身を呈して働こうとする責務を優先すれば仁政を成し得る一方で、
己が立場を守るための債務の履行(政治献金に相応の働きなど)を優先すれば逆の事態に陥る。

債務よりも高尚な何らかの責務を優先できるか、それができないにも関わらず世の中での栄華を欲するか、
これが古式ゆかしい意味での「君子と小人」を根本的に分かち続けている分岐点だといえる。

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005 2019/09/07(土) 23:52:39 ID:4TfXmO9B1o
006 2019/09/08(日) 00:35:18 ID:5WmlieHOvQ
>>部屋住み(子供部屋おじさん)を
卑しむような風潮もあったのである。

今もあるよ>>1がそうだろ?
働きもしねえでガタガタ抜かすなよ

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007 2019/09/08(日) 04:22:28 ID:29aUxhBhOM
地蔵、また説教かいw
飽きねえなwww

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008 2019/09/08(日) 09:03:04 ID:qLCDbx0Ka.
「子供部屋おじさん」とは、
広義には無職ニートも指す言葉だが、近年流行した意味合いに沿うのなら、
「働いて生活費も払ってはいるが、実家に寄生したままでいる中年男性」のことだ。

自分の家を買ってローンを組み、子供の教育費や嫁のランチ代も稼ぐ、
それでこそ一人前の男とされるところが、そこまでの条件は満たしてない。
生きて行く上で背負っている債務がないわけではないが、少な過ぎるが故に卑しまれる。

江戸時代の部屋住みだって内職ぐらいはしてたりしたが、やはり卑しまれてた。
中にはそこから書画などで身を立てて行く者もいたが、あくまで少数派。
家元社会の数合わせ上の余り物である以上は致し方のないことだとて、
そのまま寂しく人生を終えて行く者もいたし、それが習俗として許容されるほど
世の中が成熟していた点では、今のこどおじなどよりも恵まれていたといえる。

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009 2019/09/08(日) 09:33:18 ID:qLCDbx0Ka.
首斬り役人の山田浅右衛門家の他、俺の先祖の一部の御目付役(監察官)の家などもそうなのだが、
江戸時代には一定数、「部屋住みの次男坊三男坊の婿養子入り専門の家」というものがあった。

基本的に嫡子が家を継がず、家流の専門職の能力に長ける男の養子縁組によって継がれていた。

家の仕事が斬首だとか、切腹の言い渡しや見届けといった極めて特殊な業務であるために、
嫡流で継がれて行くことが忌み憚られる上、あまり高位高禄であったりすることも避けられた。

俺の先祖も本来は城勤めの上士だったのが、目付としての役務を担うと共に下士待遇を受け入れ、
俸禄も十分の一程度まで切り詰めるなどしていた。現代的な観点からいえばとても羨まれるような
人事ではないが、学問や武芸に長ける人間でないと務まらない役務であったり、身分は低くとも
極めて社会的に重要な役務であることなどを名誉として、あえて受け入れていったのだ。

これなどは、社会的責務を個人的債務以上に重んじていた実例であり、中でもその極例であるために、
今の世の中などでは全く受け入れられず、現代的な形に変わりながら存続することも許されなかったものだ。

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010 2019/09/08(日) 10:02:40 ID:qLCDbx0Ka.
たとえば今の警察の監察官は、警視以上のキャリア組がなる。
出世のしようによっては大きな家や高級車を買って、
子供をいい学校に通わせて、嫁にダイヤの指輪も買ってやれるような
立場であるものだから、不祥事を厳正に裁くようなことも怠る。

ただ社会的責務が個人的債務に負けるだけでなく、
それにより請け負っている仕事の最低限の職務までもが果たせなくなる。
一部の、主に公務系の職種についてはそういうことまでもが起きてしまう。

民間の商売などが仕事ならそういうことは少ないし、
そもそも職務自体が株価や融資額の雪だるま式の増長目的だったりもするから、
ある種の責務と債務が相反する場合があるという感覚すらわからない。
それ故に、そういう場合のある公職のような職種を忌み嫌い蔑みもする。

公権力が腐敗することがあるのは、そのほとんどが、
民間並みに社会的責務と身内の債務を混同してしまっていることを原因と
しているのだから、公と民を厳格に分断して、公職者たる者は個人的な債務などは
最低限で済まして行く心がけこそが仁政の糧ともなるのに、民主主義社会たるや、
公権力を完全な民間の統制下に置いて、民間風の業務をなるべくさせるようにまで
しているのだから、その腐敗度たるや増すことはあれども、減ることなどは決してない。

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011 2019/09/08(日) 18:58:54 ID:qLCDbx0Ka.
社会的に道義的な責務ではなく、債務の大きさ全般を持て囃すような風潮があるから、
夫の債務となる妻が、さも債権者かなにかのようにつけ上がることすら許してしまう。

「私のおかげであなたも一人前の男扱いされてるのだから、感謝しなさい」とでも言わんばかりに。

大きい家も高級外車も、子供の私立校通いも、それ相応の財力があった上でのことなら
羨まれるだけだが、ローンを組んでまで立て替えているようなら、そのほうが「頑張ってる」
ということで尊ばれる。決して身の程知らずの無理だの見栄だのと笑われることもなく。

そんな立場にある男たちはもはや、馬車馬のように今の仕事をこなす以外の何事にも身が入らない。
「結婚は人生の墓場」などと言われる原因も、まさにこの債務の山積こそを原因としている。

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012 2019/09/08(日) 19:14:24 ID:qLCDbx0Ka.
「世のため人のためになる責務を果たすのは偉大なことだが、個人的な欲望を
満たすための債務や、債務のための債務を負うのは何も偉くない」という真実を
明らかに体現していたのが、肉食妻帯を禁忌としていたかつての本物の出家僧である。

本人自身が、一切の見返りをも求めぬ菩薩行に取り組むのはもちろんのことだが、
その姿を見た在家の信者たちも、完全に欲望を捨て去るとまで行かずとも、
欲望からの消費によって己の債務が膨れ上がることや、それが持て囃されたりすることを戒めた。

これこそは、明治の文明開化の上で決定的な障壁になるものと見なされたために、
新政府が廃仏毀釈を敢行する最大級の動機ともなった。元々が、薩長の賊軍が
住友屋などの豪商からの大借金を元手としてぶち上げた政権でもある手前、
人の負う債務が最低限であることを尊ぶ仏門のあり方こそは目の敵にもされた。

当時から始まった日本政府の火の車体質は今に至るまで続き、国の借金も預金封鎖にでも
頼らぬ限りは帳消しにできないほどに膨れ上がっている。これもまた仏罰の一種であると言えようか。
(創価学会が母体の公明党が自民と共に膨れ上がらせてきた借金でもあるが)

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013 2019/09/08(日) 20:04:02 ID:qLCDbx0Ka.
今でも、賭博や女遊びのために借金を重ねるような人間がクズ扱いされる風潮はある。
しかし、今の世の中で「借金」と呼ばれているのはヤミ金を含む消費者金融か、
親族知人などから借りる金にほとんど限られていて、銀行からの融資やローンなどは、
その適性があると認められたからといって借金のうちにも入れられず、
さも「黄金の足かせ」か何かのようにすら扱われている始末である。

さらに深刻なのが、株式市場への参入であり、これもまた会社を営む側からすれば
ある種の借金の膨れ上がりを増長させて行くシステムであるにもかかわらず、
そこで会社を大きくできた者ほど偉大なるシャッチョサンとして、
この世の覇者か何かのような待遇すら受けられるようになる。

そこでこそできる大きな事業というのも確かにあるが、常に足かせ付きの業務ゆえ、
あまりレールを外すような真似はできないし、特に債権者の意向に反するような
真似だけは絶対にできない。たとえそれが最大級に公益に寄与する事業だろうとも。

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014 2019/09/08(日) 20:38:01 ID:qLCDbx0Ka.
株式投資は誰でも参加できるのだから、
公益性も連動的に守られるかのように思われるかもしれないが、
結局、投資で得られた金の使い道は銀行によって制限されるので、
銀行の意向以上に大胆な事業などを試みることはできない。

今の日本の銀行(×日本銀行)に限っていえば、
国債という形で国の借金と国民の貯蓄の大半ががんじがらめに
された状態にあるから、確実に利益を上げられそうな事業以外に
自由に融資できるような余地がほとんどない。

日本以外の資本主義先進国も大概が似たような状況にあるが、
大胆な金融緩和+移民推進という自滅的手段によって、
なんとか経済が回っているような体裁だけは保っていたりする。

資本主義特有の、債権の雪だるま式の膨れ上がりによって
経済や文明を発展させて行こうとする方向性は、すでに限界の
域に達していることが多くの人々に感知されているところだが、
だからといって代替の方向性が見つからないともよく言われる。

まず、借金の膨れ上がりによって回っているような時代の浅ましさを
把握できてから初めて、その先の世のあり方もまた察せることだろう。

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