株式投資は誰でも参加できるのだから、
公益性も連動的に守られるかのように思われるかもしれないが、
結局、投資で得られた金の使い道は銀行によって制限されるので、
銀行の意向以上に大胆な事業などを試みることはできない。
今の日本の銀行(×日本銀行)に限っていえば、
国債という形で国の借金と国民の貯蓄の大半ががんじがらめに
された状態にあるから、確実に利益を上げられそうな事業以外に
自由に融資できるような余地がほとんどない。
日本以外の資本主義先進国も大概が似たような状況にあるが、
大胆な金融緩和+移民推進という自滅的手段によって、
なんとか経済が回っているような体裁だけは保っていたりする。
資本主義特有の、債権の雪だるま式の膨れ上がりによって
経済や文明を発展させて行こうとする方向性は、すでに限界の
域に達していることが多くの人々に感知されているところだが、
だからといって代替の方向性が見つからないともよく言われる。
まず、借金の膨れ上がりによって回っているような時代の浅ましさを
把握できてから初めて、その先の世のあり方もまた察せることだろう。
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