戦略的発想の欠如


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001 2019/06/04(火) 10:16:40 ID:LjcldVNqkE
昨今、引きこもりの刃傷沙汰の多発に関連して、一部で白熱している「一人で死ね」論議。

俺はこの意見は正論だと思うが、追い詰められている相手への言葉としては逆効果と見ている。
橋下徹のように「一人で死ねという教育を徹底すべき」とする意見も、
死ぬほど追い詰められる人間が生ずることを前提としている時点でおかしいと思う。

大戦後、日本に進駐したアメリカ軍が、子供たちにお菓子を配るような柔和な態度を採って
いたのも、別に日本人が可愛かったからじゃない。その証拠に、戦時中は空襲や原爆で数多の
民間人を焼き殺し、戦後にも家畜用の飼料を支援食糧として送るような真似もしていた。
それでも表向き民間人に対しては、これ以上神経を逆なでするような真似を避けていたのは、
特攻玉砕を持て囃して自分たちも竹槍訓練に勤しんでいたような連中を、これ以上追い詰めても
自分たちのほうがさらなる危害を被りかねないという「戦略的発想」があったからである。

アメリカ人にだって、ろくな倫理観はなくても戦略的発想ぐらいはある。
今の日本人は、大した倫理観もないくせに戦略もないのだから、アメリカ以下である。

弁護士で大層口先のキレる橋下でもないのだから、ほぼ全員にないと言っていい。
宮崎駿のいう「戦う大人の不在」は、ヤクザがいなくなる程度なら健全であっても、
戦略的発想の能力を根こそぎ失うとまでなれば、不健全の至りであるといえる。

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002 2019/06/04(火) 10:37:33 ID:Q79.aaNXFc
なかなかいいこと言うね、、確かに解決になってないよなぁ

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003 2019/06/04(火) 10:41:13 ID:LjcldVNqkE
たとえば、江戸時代の日本人が、主君を失った赤穂浪士が吉良への敵討ちに
よって忠義を果たしながら切腹に処された姿を英雄として持て囃していたのは、
少なくとも今の日本人よりかは万民に戦略的発想が根付いていたからである。

赤穂義士たちは一人では死なず、儒家道徳によって是認され得る仇討ちを、
当時の法度によっても切腹処分とされる他ない手法(集団テロ)によって果たした。

無差別テロでも無関係の弱者を狙った犯行でもないなど、宅間加藤岩崎などとは
明らかに相違する点もあるが、自分が死ぬために他人を巻き添えにした点は変わりない。
それでも英雄として持て囃されるに至ったのは、義士の行動に最高度の分別が伴って
いるのと同時に、それを察知して賞賛できるだけの戦略的発想が庶民にまであったからだ。

死地に追い詰められた人間の心理状態たるや、道理の通じるものでは到底あり得ない
ことが分かるから、そこでも自分たちから道理を通した義士たちの勇姿を賞賛もできる。
単なる正論が通用しない領域まで総員でよく見据えられていた民度の高さ。

明治以降、だんだんと忠臣蔵を持て囃す風潮は衰退し、戦後にはほぼ形骸化したが、
日本人の戦略的発想能力の衰亡度合いもほぼこれに比例している。
日本軍の無謀さ等が持て囃されていたあたり、戦前にもすでに衰弱は始まっていたようである。

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004 2019/06/04(火) 11:26:55 ID:LjcldVNqkE
戦略的発想は、戦いに勝つためと、無益な争いを避けるために必要となるものであり、
決して争いを激化させるために用いるものではない。

透徹した戦略の欠如こそが、無謀な戦線の拡大やそれによる戦闘行為の陰惨化を招くのは、
戦前の日本軍を見てもわかる通り。(ベトナムやイラクにおける米軍も当たるだろう)

自分は軍人でも棋士でもないからとて、戦略的発想を全く持たないままでいながら、
重職でお花畑な仕事をしていたりすれば、それこそが争いを激化させる元凶となる。

戦争放棄をしている現代の日本ですら、氷河期世代の棄民化による世相の不安化等を招いている。
そこで正規の戦闘行為があるわけでなくとも、死ぬほど追い詰められた人間がいたりする以上は、
すでに正論の通用しない死地ならではの鬩ぎ合いが生じてしまっていることが確か。

それを打開できるのは場違いな慈悲などではなく、阿修羅を降伏する帝釈天の如き戦略である。
優しさなどではなく、死地にも正気を保ち得る赤穂義士のごとき精神力である。
本来なら、死地を招く以前から用心のために持ち合わせているべきものでもあるが。

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