世の中で検証できる現象は限られている。
実社会も検証できるものだけで組み立てたてられてなどいない。
反復ファクターは、事象の利用可能性を高めはするだろう。
だが、皮肉なことに「歴史は繰り返す」は、逆立ちしても科学になれない歴史学では禁句である。
にもかかわらず歴史学は役に立つのである。近代国家の国民統合に資する。
役に立つ、立たぬ、効用、効率、利便性・・・これと検証可能性とが無縁であることは>>25のとおり。
あるステージでどんなふうにか役に立つことを手にしても、その集団がその技術ゆえに滅ぶこともある。
下位集団の場合には容易に観察されることだが、時代適応への失敗でいなされる。
結局、問題は、「全体は不可視」という点に帰着する。
科学のような要素還元主義ではたどり着けない「全体」。
ビッグデータでもAIをもってしても無理。
無理なので無視する・・・とはならないのが痛いところ。
これを直接覗こうとしても不可能で、哲学やら宗教やらはその絶対不可能性にかまけて非日常に脳髄を解放している。
全体など放っておきましょう。手元、足元、のど元でちまっと積み上げボトムアップが自然界ですよ。
そうならないのが痛いところ。
人間は不可視なものを可視化しようとあがく存在。つまり、虚像と幻想の世界の住民。
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