非常に難しい。
イジメ問題を例に取ればわかる通り、イジメ自体が巧妙化すると証拠(客観的証明)が非常に難しくなる。
「○○が確認されればイジメ」と客観的事実だけを基準にすると、必ずそれを巧妙にかわす新しいイジメが開発される。
これはもう必然だ。
だからこそ、「本人の訴え」「本人がどう感じたか」が重視される流れになるのは理屈から言って正しい。
とはいえ、
>>1が危惧する通り、この場合冤罪の危険性が高まる。
痴漢冤罪が既に問題視されているが、今後イジメにおいてもセクハラにおいてもパワハラにおいても冤罪が数多く出るだろう。
過渡期において仕方のない事例とはいえ、今後はこれらに対する抑止もしなければならない。
個人的には、今後発達するであろう新しい自白剤や嘘発見器などによる「被害者の発言の信頼性」の確認に期待するしかない。
まったく客観的証拠を残さない陰湿なセクハラ・パワハラ・イジメ・痴漢などを撲滅するためには、
被害者にも一定のリスクを背負ってもらって「内心の証明」をする必要があると思われる。
ノーリスクで犯罪者に対抗する事は、これらの犯罪以外もほとんど不可能だ。
ただでさえ被害を受けた人がさらにリスクを負うのは不合理ではあるが、そこまでしなければ犯罪には対抗できない。
今後同じ被害にある人を低減させるという社会的責任の為、被害者には涙を呑んでもらうしかない。
そうすれば、少なくとも悪意ある冤罪作成者は激減することだろう。
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