縄文人やアイヌですら、部族は棲み分けして混ざるようなことはしていない
なぜかと言えば、食料の問題で、山で狩りをしたり、農業をしたり、川や海で漁をしたりということで、食料を経験的に安定確保し、互いの利権を持っていた
こうすることで、限られた食料、それで食いつなぐ集団を維持していた
日本語と高句麗百済語が比較的近く、高句麗百済語と今の朝鮮人の先祖の新羅語が近いが関係性にあるが
三国時代にはまだ明確に民族的なアイデンティティもない
今の朝鮮人の顔と今の日本人の顔で語るのはナンセンスだろう、半島は先史時代から絶えず様々な民族の流入と混血が起きている
それに百済、高句麗滅亡で、たくさん日本へ逃げてきて、各地で集落形成を許されたので、半島っぽい顔がいて当然だろうが
また、朝鮮半島系の遺伝子は、中国系の諸民族との混血で、中国系遺伝子に引っ張られているので単純な話ではないと思うが
三国時代は、向こうの王朝に倭人の宰相がいたり、倭人系の妃に関しては何人かいるし、何度も倭から軍人が派兵されて、半島南部で朝鮮人と混血して日本へ帰ってきたり、向こうに帰化した倭人が、後々戻って来たりもしている
少なくとも、高句麗はともかく、百済と新羅よりは倭の方が強いし
中国にも三国にも自分たちの関係者が日本人、天皇になったとか、信頼するに足る記録がない
朝鮮半島は、中国の支配を受けて、日本より数百年ほど先に文化が開けたが、民族アイデンティティの形成は日本より遅かった
言うまでもなく、当時は今で言う民族概念が存在せず、特に半島は三国時代の時点でも、様々な民族、言語集団が雑居し、混じり合っている過程にあった
同時期の倭人はすでに日本列島で同一集団としてアイデンティティが確立し始めているのとは対照的
当時は王朝の支配者がいて、支配が及ぶ領民が国民という感じで、半島の場合、三国それぞれ、王族貴族と民衆では民族や言葉も違う、そんな状態
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