日本では 体育会系>障害者>0>文化系 ならしい 国を挙げて知性の欠如を奨励する
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個人的にどうでもいい、知性に欠ける体力馬鹿の賑わい程度にしか考えていない
2020東京オリンピックが、この年末年始から拍車をかけて囃し立てられ始めている。
マスコミだけでなく、日本政府もこれを「国民の祭典」と位置づけ、
大規模な競技場や選手村の建設のほか、開催中は都心全体に交通等の規制を敷き、
世界最大の屋内イベントであるコミケもゴールデンウィークに前倒しさせるなど、
全国民総力を挙げての協賛を有無を言わさず強制する事態となっている。
ここまででまず分かるのが、現代の日本社会のヒエラルキーは絶対的に 体育会系 > 文化系 であるということ。
体育会系の活動の前では、全ての文化系は道を譲らねばならず、 居てもいなくてもどうでもいい、
むしろ眼中から消えて欲しいぐらいな、存在価値0未満の扱いを受けるということ。
そしてもう一つ。
近年はバリアフリー化の観点から、障害者のためのパラリンピックも
オリンピックに並ぶ祭典として半ば義務的に盛り上げられている。
しかし、このパラリンピックも所詮はただの大運動会でしかない。
ただ体育会系を志している障害者だけを限定的に、体育会系の健常者並みに扱おうとしているだけ。
つまり、日本社会におけるヒエラルキーは
体育会系 > 体育会系の障害者 > 0 >文化系
ということである。
これが日本政府公認、大マスコミ奨励の社会的差別。
オリンピック・パラリンピックの礼賛がどうにも浅ましく感じられる原因でもある。
2020東京オリンピックが、この年末年始から拍車をかけて囃し立てられ始めている。
マスコミだけでなく、日本政府もこれを「国民の祭典」と位置づけ、
大規模な競技場や選手村の建設のほか、開催中は都心全体に交通等の規制を敷き、
世界最大の屋内イベントであるコミケもゴールデンウィークに前倒しさせるなど、
全国民総力を挙げての協賛を有無を言わさず強制する事態となっている。
ここまででまず分かるのが、現代の日本社会のヒエラルキーは絶対的に 体育会系 > 文化系 であるということ。
体育会系の活動の前では、全ての文化系は道を譲らねばならず、 居てもいなくてもどうでもいい、
むしろ眼中から消えて欲しいぐらいな、存在価値0未満の扱いを受けるということ。
そしてもう一つ。
近年はバリアフリー化の観点から、障害者のためのパラリンピックも
オリンピックに並ぶ祭典として半ば義務的に盛り上げられている。
しかし、このパラリンピックも所詮はただの大運動会でしかない。
ただ体育会系を志している障害者だけを限定的に、体育会系の健常者並みに扱おうとしているだけ。
つまり、日本社会におけるヒエラルキーは
体育会系 > 体育会系の障害者 > 0 >文化系
ということである。
これが日本政府公認、大マスコミ奨励の社会的差別。
オリンピック・パラリンピックの礼賛がどうにも浅ましく感じられる原因でもある。
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揶揄目的の譬えじゃなくて、本当に独裁国家のプロパガンダが起源だから。
オリンピックの国家事業化というのは。
「平和の祭典」なんていうのは後付けのフカシもいいとこで、
国威発揚や国力の示威こそが主目的。
そのためには国を挙げての組織的ドーピングすら厭わない。
敗戦国にしてアメリカの飼い犬である今の日本の場合は、
国家的権謀としてのどぎつさは比較的薄い一方で、とっくの昔から国の経済に
陰りが見える中での、見栄っ張りとしての浅ましさがより際立っていると言える。
戦前の大本営発表も事務担当していた電通が宣伝を取り仕切っていることもあって、
絶対に他人の意見なんかに耳を傾けず、自分たちの情報発信を一方的に
押し付けようとする頑迷さではナチスや北朝鮮にも負けることはない。
だからほとんどの人間が、親身な苦言を呈することも憚っているが、
だからこそ戦後日本の「船頭多くして船山に登る」痴態の極みにもなりそうだな。
開催中と直後だけは大成功を装いながら、その後にリバウンドの不景気として響き渡るだろうが。
オリンピックの国家事業化というのは。
「平和の祭典」なんていうのは後付けのフカシもいいとこで、
国威発揚や国力の示威こそが主目的。
そのためには国を挙げての組織的ドーピングすら厭わない。
敗戦国にしてアメリカの飼い犬である今の日本の場合は、
国家的権謀としてのどぎつさは比較的薄い一方で、とっくの昔から国の経済に
陰りが見える中での、見栄っ張りとしての浅ましさがより際立っていると言える。
戦前の大本営発表も事務担当していた電通が宣伝を取り仕切っていることもあって、
絶対に他人の意見なんかに耳を傾けず、自分たちの情報発信を一方的に
押し付けようとする頑迷さではナチスや北朝鮮にも負けることはない。
だからほとんどの人間が、親身な苦言を呈することも憚っているが、
だからこそ戦後日本の「船頭多くして船山に登る」痴態の極みにもなりそうだな。
開催中と直後だけは大成功を装いながら、その後にリバウンドの不景気として響き渡るだろうが。
>6画みたいな体型をした運動音痴でもスポーツ観戦好きぐらいにはなれるし、
(メジャーリーグ球場の観戦者なんて7割がたこんな体型だったし)
過酷な体力訓練を積んでいる自衛隊員にも割りとオタクが多いという。
(基地待機中の暇つぶしにオタク趣味がうってつけであること等から)
要は、運動が得意か否かよりも、頭を使わないかどうかがより重要なわけで、
底辺フィジカルでも体育会系の後塵を拝する従者となるのならそれでヨシということ。
超人的な身体能力の持ち主だろうとも、文武両道で高尚な精神性や技術力も
持ち合わせていたりするようなら、体育会系からは疎まれて排斥される。
古武道の練達者などの中にも一定数、そういう扱いを受けているような人間がいる。
自分たちでは体育を重んじているつもりでも、実は知性を損なうことのほうが
主体となっていて、その悪影響によって国が傾いている度合いのほうがより強い。
体を動かすことが馬鹿の言い訳にされているような世の中の将来は、当然のこととして暗い。
(メジャーリーグ球場の観戦者なんて7割がたこんな体型だったし)
過酷な体力訓練を積んでいる自衛隊員にも割りとオタクが多いという。
(基地待機中の暇つぶしにオタク趣味がうってつけであること等から)
要は、運動が得意か否かよりも、頭を使わないかどうかがより重要なわけで、
底辺フィジカルでも体育会系の後塵を拝する従者となるのならそれでヨシということ。
超人的な身体能力の持ち主だろうとも、文武両道で高尚な精神性や技術力も
持ち合わせていたりするようなら、体育会系からは疎まれて排斥される。
古武道の練達者などの中にも一定数、そういう扱いを受けているような人間がいる。
自分たちでは体育を重んじているつもりでも、実は知性を損なうことのほうが
主体となっていて、その悪影響によって国が傾いている度合いのほうがより強い。
体を動かすことが馬鹿の言い訳にされているような世の中の将来は、当然のこととして暗い。
0ってなんや?
猫も杓子も、障害者でもいいから、とにかく体を動かせ。
無駄なことは何も考えずに。それができない者は落ちこぼれだという。
考えれば考えるほど悲観的な思いに駆られる、現実からの逃避。
前向きなように見えて、その背後に遍在している、より大きな後ろ向きの闇。
そういう人間には、ちゃんとモノを考え抜く主知主義者としての
前向き志向をぶつければ、鳩が豆鉄砲でも食らったかのように面食らって
恐れひるむしかなくなるのを、実際の対面でも何度か確認しているが。
だからといって反省して改悛できるわけでもなく、俺がいない所では
相変わらず体力馬鹿としての振舞いを続ける。結局、世の中総出でブレーキを
かけてやるのでなければ、そういう連中の暴走が止まることもあるまい。
幼少期から六十七十までそんな風であり続けてきた連中ともなれば、
無理に止められるとショックで死んだりボケたりする可能性も高いし。
無駄なことは何も考えずに。それができない者は落ちこぼれだという。
考えれば考えるほど悲観的な思いに駆られる、現実からの逃避。
前向きなように見えて、その背後に遍在している、より大きな後ろ向きの闇。
そういう人間には、ちゃんとモノを考え抜く主知主義者としての
前向き志向をぶつければ、鳩が豆鉄砲でも食らったかのように面食らって
恐れひるむしかなくなるのを、実際の対面でも何度か確認しているが。
だからといって反省して改悛できるわけでもなく、俺がいない所では
相変わらず体力馬鹿としての振舞いを続ける。結局、世の中総出でブレーキを
かけてやるのでなければ、そういう連中の暴走が止まることもあるまい。
幼少期から六十七十までそんな風であり続けてきた連中ともなれば、
無理に止められるとショックで死んだりボケたりする可能性も高いし。
>>8
「いてもいなくてもどうでもいい、むしろこの世から消えて欲しい」
という意味の「ゼロ未満(0>***)」。
アニメーターやイラストレーターを生活できないほどの苦境に追い込んでおきながら、
自分たちは中間マージンでウハウハなんてのが平気でまかり通っているのも、
文化的創作能力の持ち主に心情面では嫌悪まで抱いているからできること。
だいたい文化系なら運動は苦手だし、例外的に得意だとしてもあくまで
「二足のわらじ」止まりで、「文武両道」にまで昇華できている人間は稀有だから、
(前者の実例はケンガンアシュラの監督、後者の実例はとみ新蔵氏など)
自分たちがあくまで運動を本位としているようなら、マウントも取りやすい。
電通やテレビ局発のメインカルチャーと、中央線沿い界隈発のサブカルチャーの
分裂もすでに来たし始めてから久しいが、両者の根本的な違いもまたやはり、
体育会系が本位であるか文化系が本位であるかという点。
前者がメイン、後者がサブであるからには上下関係も絶対的。
地上波では後者をこの世にないも同然の扱いとすることに専念しているから、
テレビしか見ない年寄りにはサブカルなんて一切知らない人間も多い。
東京スカイツリーのある押上から、国立競技場のある千駄ヶ谷代々木までが、
日本全国に情報を発信する資格のある勝ち組のテリトリーというわけ。
「いてもいなくてもどうでもいい、むしろこの世から消えて欲しい」
という意味の「ゼロ未満(0>***)」。
アニメーターやイラストレーターを生活できないほどの苦境に追い込んでおきながら、
自分たちは中間マージンでウハウハなんてのが平気でまかり通っているのも、
文化的創作能力の持ち主に心情面では嫌悪まで抱いているからできること。
だいたい文化系なら運動は苦手だし、例外的に得意だとしてもあくまで
「二足のわらじ」止まりで、「文武両道」にまで昇華できている人間は稀有だから、
(前者の実例はケンガンアシュラの監督、後者の実例はとみ新蔵氏など)
自分たちがあくまで運動を本位としているようなら、マウントも取りやすい。
電通やテレビ局発のメインカルチャーと、中央線沿い界隈発のサブカルチャーの
分裂もすでに来たし始めてから久しいが、両者の根本的な違いもまたやはり、
体育会系が本位であるか文化系が本位であるかという点。
前者がメイン、後者がサブであるからには上下関係も絶対的。
地上波では後者をこの世にないも同然の扱いとすることに専念しているから、
テレビしか見ない年寄りにはサブカルなんて一切知らない人間も多い。
東京スカイツリーのある押上から、国立競技場のある千駄ヶ谷代々木までが、
日本全国に情報を発信する資格のある勝ち組のテリトリーというわけ。
>10にすらこそいっぺんも使うてへんやんけ!
メインカルチャーでもサブカルチャーでも、
消費者が享受する発信情報自体は「文化」に違いないのだから、
純文化系の人間が主導的に作っているサブカルチャーのほうが、
体育会系の人間が作るないし下請けの文化系に作らせている
メインカルチャーよりも、少なからず文化的な質は高い。
スポーツ観戦なんて、純粋な情報文化としてみれば下の下もいいとこだが、
それでも体育会系の社会的なマウントのためにメインカルチャーの雄に据えられている。
見て考えて楽しむことではなく、何も考えずにただ見て楽しむことを
奨励された一般大衆は知性を目減りさせて、知的な文化への理解力を失う。
そのせいで純粋文化の側も程度を下げて行かざるを得なくなり、
挙句には漫画アニメにサブカルの精髄が集約されることともなってしまった。
体育会系の反知性主義によって高尚さが損なわれたのは、何も文系の文化に限らない。
有能な理系の研究者や技術職なども、学歴だけは高い無能な経営者らの犠牲となって
日本から消えていった。これは、主に文系の仕業だと思われている節があるが、
文系だとしてもろくな文化性の持ち主ではない。ただ単に自分自身の出世のために
大学を出ようとして、比較的入りやすい文学部を選んだだけのような連中。体育会系の
部活サークルに精を入れていことが、本分の勉強よりも就職時のポテンシャルになったり。
主にはやはり、戦後にアメリカから輸入された反文化主義の愚民化志向。
そのアメリカのように、金や軍事力にモノを言わせられる物量があるのならまだしも、
国土も国民の体格も細くて小さい日本などが真似をしても「下手の横好き」にしか
ならないから、その点の醜悪さもまた加味されている。これが日本のメインカルチャーが
世界ではサブカルほどにも受け入れられない理由だし、国際競争力を期待する
観点からも、この日本で体育会系の愚民化が猛威を奮っている現状はいただけない。すらこそすらこそ
メインカルチャーでもサブカルチャーでも、
消費者が享受する発信情報自体は「文化」に違いないのだから、
純文化系の人間が主導的に作っているサブカルチャーのほうが、
体育会系の人間が作るないし下請けの文化系に作らせている
メインカルチャーよりも、少なからず文化的な質は高い。
スポーツ観戦なんて、純粋な情報文化としてみれば下の下もいいとこだが、
それでも体育会系の社会的なマウントのためにメインカルチャーの雄に据えられている。
見て考えて楽しむことではなく、何も考えずにただ見て楽しむことを
奨励された一般大衆は知性を目減りさせて、知的な文化への理解力を失う。
そのせいで純粋文化の側も程度を下げて行かざるを得なくなり、
挙句には漫画アニメにサブカルの精髄が集約されることともなってしまった。
体育会系の反知性主義によって高尚さが損なわれたのは、何も文系の文化に限らない。
有能な理系の研究者や技術職なども、学歴だけは高い無能な経営者らの犠牲となって
日本から消えていった。これは、主に文系の仕業だと思われている節があるが、
文系だとしてもろくな文化性の持ち主ではない。ただ単に自分自身の出世のために
大学を出ようとして、比較的入りやすい文学部を選んだだけのような連中。体育会系の
部活サークルに精を入れていことが、本分の勉強よりも就職時のポテンシャルになったり。
主にはやはり、戦後にアメリカから輸入された反文化主義の愚民化志向。
そのアメリカのように、金や軍事力にモノを言わせられる物量があるのならまだしも、
国土も国民の体格も細くて小さい日本などが真似をしても「下手の横好き」にしか
ならないから、その点の醜悪さもまた加味されている。これが日本のメインカルチャーが
世界ではサブカルほどにも受け入れられない理由だし、国際競争力を期待する
観点からも、この日本で体育会系の愚民化が猛威を奮っている現状はいただけない。すらこそすらこそ
障害者>>体育会系 > 0 >文化系だろ
身内に障害者様がいると御殿が建つほど儲かる
身内に障害者様がいると御殿が建つほど儲かる
思い切ったことをいえば、この世に体育会系の人間なんてのは一人もいらない。
必要なように、いてくれれば使えるように思えるのは、
体育会系同士の争いが激化してしまっている世の中では有用だからなだけで、
そんなマッチポンプの原因となる争い自体が根絶されれば、
体育会系の性根の持ち主は一切合切、百害あって一利ないものとなる。
じゃあ、清代の中国みたいに体を動かすことを一切合切卑賤なこととして
忌み避けるべきなのかといえばそうでもなく。武芸や仏道修行(ヨガ含む)の如き
高尚な精神性や技術研鑽の伴う運動に取り組めばいいのである。
それにより、運動はしても体力馬鹿や不器用猿にはならず、
心技体を総合的に上達させて行く手段とする。スポーツ選手でも
イチローやクリロナやボルトあたりまで行けば、それなりに心がけていた
ことでもあるようだが、それぐらいトップ中のトップでもなければ務まること
ではないというのも、スポーツがその手段としてふさわしくない証拠になっているといえる。
もちろん、体力頼みなせいでこの3人すら若いうちに引退せざるを得ないという点も。
必要なように、いてくれれば使えるように思えるのは、
体育会系同士の争いが激化してしまっている世の中では有用だからなだけで、
そんなマッチポンプの原因となる争い自体が根絶されれば、
体育会系の性根の持ち主は一切合切、百害あって一利ないものとなる。
じゃあ、清代の中国みたいに体を動かすことを一切合切卑賤なこととして
忌み避けるべきなのかといえばそうでもなく。武芸や仏道修行(ヨガ含む)の如き
高尚な精神性や技術研鑽の伴う運動に取り組めばいいのである。
それにより、運動はしても体力馬鹿や不器用猿にはならず、
心技体を総合的に上達させて行く手段とする。スポーツ選手でも
イチローやクリロナやボルトあたりまで行けば、それなりに心がけていた
ことでもあるようだが、それぐらいトップ中のトップでもなければ務まること
ではないというのも、スポーツがその手段としてふさわしくない証拠になっているといえる。
もちろん、体力頼みなせいでこの3人すら若いうちに引退せざるを得ないという点も。
己が頭の悪さや手先の不器用さを、
体力頼みで開き直っているから「体育会系」なのである。
心技体の三才に恵まれながら、中でも体力に秀でているから体育会系なわけではない。
それは、実際に体育会系を自認している連中の馬鹿さ加減や不器用さ加減のほか、
高い知性や技量を兼ね備えている武芸者や仏道修行者が、体術が本分であろうとも
体育会系を自認したりはしないことからも明らかである。
現代剣道の実質的な創始者の一人である、この西久保弘道とかいう23代警視総監も、
相撲取りみたいな胴回りに頭の悪そうな顔つき、子供のように細くて器用な仕事など
ろくにできなさそうな前腕と、いかにも体力馬鹿の体育会系らしい風体をしているが、
そんな自分の短所を恥じもせず、少しも正そうとする気もなかったものだから、
自己流の知性も技術もへったくれもないようなスポーツ剣道を警察の正課に据えたのである。
(学校の部活剣道の立役者である永井道明も同様にこの点が確信犯であったという。
「月刊武道」2019年11月号掲載の「剣道の文化誌」を参照)
頭が悪いのも不器用なのも、別に人の個性として全く許容されないわけではないが、
それが体育会系を礼賛する風潮の下で思い上がりを募らせて、さも人の花形か何かのように振る舞い、
挙句には国家権力をも牛耳るような社会的専横を働き始めたりするのは、さすがにやり過ぎである
頭が良かったり器用だったりする代わりに、運動はからっきしな文化人や技術者と
同程度な扱いまでを限度とすべきだし、そんな連中が魅力的には思われないというのなら、
所詮はそれと同レベルに過ぎない己が身の程をわきまえるべき。
体力頼みで開き直っているから「体育会系」なのである。
心技体の三才に恵まれながら、中でも体力に秀でているから体育会系なわけではない。
それは、実際に体育会系を自認している連中の馬鹿さ加減や不器用さ加減のほか、
高い知性や技量を兼ね備えている武芸者や仏道修行者が、体術が本分であろうとも
体育会系を自認したりはしないことからも明らかである。
現代剣道の実質的な創始者の一人である、この西久保弘道とかいう23代警視総監も、
相撲取りみたいな胴回りに頭の悪そうな顔つき、子供のように細くて器用な仕事など
ろくにできなさそうな前腕と、いかにも体力馬鹿の体育会系らしい風体をしているが、
そんな自分の短所を恥じもせず、少しも正そうとする気もなかったものだから、
自己流の知性も技術もへったくれもないようなスポーツ剣道を警察の正課に据えたのである。
(学校の部活剣道の立役者である永井道明も同様にこの点が確信犯であったという。
「月刊武道」2019年11月号掲載の「剣道の文化誌」を参照)
頭が悪いのも不器用なのも、別に人の個性として全く許容されないわけではないが、
それが体育会系を礼賛する風潮の下で思い上がりを募らせて、さも人の花形か何かのように振る舞い、
挙句には国家権力をも牛耳るような社会的専横を働き始めたりするのは、さすがにやり過ぎである
頭が良かったり器用だったりする代わりに、運動はからっきしな文化人や技術者と
同程度な扱いまでを限度とすべきだし、そんな連中が魅力的には思われないというのなら、
所詮はそれと同レベルに過ぎない己が身の程をわきまえるべき。
>>15でも挙げた「月刊武道」における剣道史の連載は、
9月号や10月号が主に、明治期に古流の剣術技法が禁止されて行く話だった。
その結果として、古流とは似ても似つかないスポーツ剣道が大正期にでっち上げられ、
(これがちょうど俺の高祖父を含む、元武士の剣道家が絶えていなくなった時期でもある)
警察剣道や学校剣道として全国に広く普及されていくこととなった話が、11月号にあった。
古流の技法が禁止されたり、有効打として認められなくなったのは、
修得が非常に困難な上に、会得した人間には素人が絶対に勝てないから。
馬鹿で不器用で体力だけが頼みな体育会系なんかにはとても修得できない上に、
修得した相手には絶対に勝てないと来ている。この、自分たちにとっての不利さ故に、
古流のやり方を近代剣道から完全に排除した。そこには、自分たちよりも上の存在が
厳然として武道界に居座っていることへのコンプレックスもまたあったのである。
姑息なるかな、体育会系。体を鍛えたからといって心まで練達するわけではなく、
むしろ自分たちが実力で敵わない相手を政治的に追い落とすような卑劣さばかりを募らせる。
それもまた、心や技を蔑ろにした体に妄執する奇形的な姿勢故の帰結でもあろうが。
9月号や10月号が主に、明治期に古流の剣術技法が禁止されて行く話だった。
その結果として、古流とは似ても似つかないスポーツ剣道が大正期にでっち上げられ、
(これがちょうど俺の高祖父を含む、元武士の剣道家が絶えていなくなった時期でもある)
警察剣道や学校剣道として全国に広く普及されていくこととなった話が、11月号にあった。
古流の技法が禁止されたり、有効打として認められなくなったのは、
修得が非常に困難な上に、会得した人間には素人が絶対に勝てないから。
馬鹿で不器用で体力だけが頼みな体育会系なんかにはとても修得できない上に、
修得した相手には絶対に勝てないと来ている。この、自分たちにとっての不利さ故に、
古流のやり方を近代剣道から完全に排除した。そこには、自分たちよりも上の存在が
厳然として武道界に居座っていることへのコンプレックスもまたあったのである。
姑息なるかな、体育会系。体を鍛えたからといって心まで練達するわけではなく、
むしろ自分たちが実力で敵わない相手を政治的に追い落とすような卑劣さばかりを募らせる。
それもまた、心や技を蔑ろにした体に妄執する奇形的な姿勢故の帰結でもあろうが。
体育会系に乗っ取られた組織の腐敗例は、
一般的には剣道界よりも相撲界やアメフト界あたりのほうが認知度が高いだろうが。
飼い主と犬にも等しい、非人道的な上下関係の強制が
下に置かれる者に不満を募らさせて、上に立った途端に下いじめとして噴出する悪循環の繰り返し。
暴力事件などとして問題視されることもだいぶ多くはなったものの、
体育会系が少なからずそのような方向性を持つことは相変わらず、当たり前のこととされている。
昔でいえば、これは商家の丁稚修行などに限って許されていたことである。
武家は、どんなに厳しい武芸の稽古に興じるのだろうとも、大切な家の跡取りとなる者を
非人道的な上下関係に置いたりしようものなら、無礼討ちに遭っても文句が言えなかったし、
そんな武家を人の花形とする世の中全体もそれに倣い、寺子屋での体罰なども御法度だったという。
封建制下では最低位に置かれた商家やエタヒニンの芸能一家などのごく一部の内輪に限って、
今の体育会系に相当するような、理不尽な上下関係が黙認されていたのである。
一般的には剣道界よりも相撲界やアメフト界あたりのほうが認知度が高いだろうが。
飼い主と犬にも等しい、非人道的な上下関係の強制が
下に置かれる者に不満を募らさせて、上に立った途端に下いじめとして噴出する悪循環の繰り返し。
暴力事件などとして問題視されることもだいぶ多くはなったものの、
体育会系が少なからずそのような方向性を持つことは相変わらず、当たり前のこととされている。
昔でいえば、これは商家の丁稚修行などに限って許されていたことである。
武家は、どんなに厳しい武芸の稽古に興じるのだろうとも、大切な家の跡取りとなる者を
非人道的な上下関係に置いたりしようものなら、無礼討ちに遭っても文句が言えなかったし、
そんな武家を人の花形とする世の中全体もそれに倣い、寺子屋での体罰なども御法度だったという。
封建制下では最低位に置かれた商家やエタヒニンの芸能一家などのごく一部の内輪に限って、
今の体育会系に相当するような、理不尽な上下関係が黙認されていたのである。
宮本武蔵も、ただ剣豪であるだけでなく、櫂から削り出した長大な木刀を
難なく振り回すほど剛力無双の猛者でもあったらしいが。
だからといって、武蔵が「体育会系」だったなんて断ずるのもおこがましい。
書画や鍔工芸などの文化面でも偉大な功績を遺している上、
天涯孤独で妻も娶らず、正式な士官もせずに肥後細川の客分として人生を全うした。
これは、武蔵が心技体全てに長ける真人であった上で、
超人的な身体能力までをも兼ね備えていたが故の選択であろう。
今の体育会系みたいに、知力や技力の低さを体力頼みで紛らわしているような
醜態ではなかったからこそ、己が至らなさを組織としての群れ合いによって
埋め合わせたがるような焦燥感に駆られることもなかった。
これこそが、身体能力に秀でている者が真に目指すべき境地だといえる。
無理だというのなら無理でもいいから、その程度の分際で偉そうな顔をするな、ということだ。
難なく振り回すほど剛力無双の猛者でもあったらしいが。
だからといって、武蔵が「体育会系」だったなんて断ずるのもおこがましい。
書画や鍔工芸などの文化面でも偉大な功績を遺している上、
天涯孤独で妻も娶らず、正式な士官もせずに肥後細川の客分として人生を全うした。
これは、武蔵が心技体全てに長ける真人であった上で、
超人的な身体能力までをも兼ね備えていたが故の選択であろう。
今の体育会系みたいに、知力や技力の低さを体力頼みで紛らわしているような
醜態ではなかったからこそ、己が至らなさを組織としての群れ合いによって
埋め合わせたがるような焦燥感に駆られることもなかった。
これこそが、身体能力に秀でている者が真に目指すべき境地だといえる。
無理だというのなら無理でもいいから、その程度の分際で偉そうな顔をするな、ということだ。
政官財から各種法人に至るまで、
体育会系に乗っ取られた組織が致命的に腐敗壊乱して行く様は、
ちょうど昔の中国の宦官による権力腐敗にも似ている。
己が能力を部分的に見限った(見限らされた)人間ならではの嫉妬意識や追い落とし意欲の旺盛さ、
自他共に人でなし同然の扱いをしたり受けたりすることに慣れているが故の残虐さ。
これがまた、組織内派閥の結束力を不必要に過剰化する元凶ともなるから、
内部腐敗や部外者の排除虐待を強固ならしめることにだけは秀でる。
ひどい場合には当該の組織を完全に崩壊させて、責任者を皆殺しにするのでもなければ済まなくなる。
故に、中国という国は王朝が滅んでは興り、亡んでは起こりを繰り返す断代史を積み重ねて
来ているわけだが、日本もまた体育会系のごとき精神的宦官連中をのさばらせたり
するようなら、同様な惨状に陥ることが避けられはしない。
権力機構の宦官的、体育会系的腐敗を予防するために、
昔の日本では武芸や仏門帰依による清浄さの維持が講じられた。
これらは文武両道の求道を重んじる嗜みであるが故に、体力馬鹿や文弱による
権力腐敗の予防に対して確かな効果があったことが、昔の中国の宦官や、
今の日本の体育会系による権力腐敗のひどさを反例として窺うこともできるといえる。
体育会系に乗っ取られた組織が致命的に腐敗壊乱して行く様は、
ちょうど昔の中国の宦官による権力腐敗にも似ている。
己が能力を部分的に見限った(見限らされた)人間ならではの嫉妬意識や追い落とし意欲の旺盛さ、
自他共に人でなし同然の扱いをしたり受けたりすることに慣れているが故の残虐さ。
これがまた、組織内派閥の結束力を不必要に過剰化する元凶ともなるから、
内部腐敗や部外者の排除虐待を強固ならしめることにだけは秀でる。
ひどい場合には当該の組織を完全に崩壊させて、責任者を皆殺しにするのでもなければ済まなくなる。
故に、中国という国は王朝が滅んでは興り、亡んでは起こりを繰り返す断代史を積み重ねて
来ているわけだが、日本もまた体育会系のごとき精神的宦官連中をのさばらせたり
するようなら、同様な惨状に陥ることが避けられはしない。
権力機構の宦官的、体育会系的腐敗を予防するために、
昔の日本では武芸や仏門帰依による清浄さの維持が講じられた。
これらは文武両道の求道を重んじる嗜みであるが故に、体力馬鹿や文弱による
権力腐敗の予防に対して確かな効果があったことが、昔の中国の宦官や、
今の日本の体育会系による権力腐敗のひどさを反例として窺うこともできるといえる。
いや、発足当初の虫プロの平均収入は当時のサラリーマンの三倍近かったらしいぞ。
それが今は誰もが生活もままならないような苦境に追い込まれているのは、
アニメーターや漫画家の社会的地位を底上げすることにまではこだわって
いなかったし、またしようとしたところでより強い立場の人間に阻まれたから。
トキワ荘もひどいボロ屋だったというし、それでも有り余る才能を存分に
世の中に発信していられただけでも、本人たちは幸せだったのだろうが、
だからこそ、漫画アニメを普遍的な精神文化として末永く発展させて行くために、
後継者となる人々にも十分な福利厚生を用意するような心がけまではなかった。
すでにトキワ荘組の流れを汲むような漫画家やメーターも少なくなって、
出版社や製作委員会にアゴで使われるような人間が多数になった。
その全ての責任を手塚御大一人に押し付けるというのもさすがに可哀想なこって。
とにかく知性を損なわしめようとする戦後のアメリカナイズの風潮に、
ディズニーを換骨奪胎するような真似によってまで柔軟に抗い、
純文化系の人間に細々とでも生き延びられる余地となる受け皿を
用意してくれたというだけでも、一人の人間の功績としては十分なものだろう。
それが今は誰もが生活もままならないような苦境に追い込まれているのは、
アニメーターや漫画家の社会的地位を底上げすることにまではこだわって
いなかったし、またしようとしたところでより強い立場の人間に阻まれたから。
トキワ荘もひどいボロ屋だったというし、それでも有り余る才能を存分に
世の中に発信していられただけでも、本人たちは幸せだったのだろうが、
だからこそ、漫画アニメを普遍的な精神文化として末永く発展させて行くために、
後継者となる人々にも十分な福利厚生を用意するような心がけまではなかった。
すでにトキワ荘組の流れを汲むような漫画家やメーターも少なくなって、
出版社や製作委員会にアゴで使われるような人間が多数になった。
その全ての責任を手塚御大一人に押し付けるというのもさすがに可哀想なこって。
とにかく知性を損なわしめようとする戦後のアメリカナイズの風潮に、
ディズニーを換骨奪胎するような真似によってまで柔軟に抗い、
純文化系の人間に細々とでも生き延びられる余地となる受け皿を
用意してくれたというだけでも、一人の人間の功績としては十分なものだろう。
スボーツとヨガは全く通じる物はないのか
手塚治虫は、自らが生み出したキャラクターの人気が一人歩きすることを嫌い、
鉄腕アトムの最終回(いくつかある) などもあえて無惨なものにしたという。
だから、膨大な名作の数とは裏腹に、手塚の作品は一つ一つを採って見れば
わりと子粒ぞろいな印象を受けるが、後世の作家たちはこれに倣おうとはしなかった。
手塚の弟子たちの作品である、鉄人28号や天才バカボンやドラえもんのような、
自身の作品のビッグネーム化のほうをより追い求め、数多の不審者が絡んでくる
キャラクタービジネスの肥大化にも諸手を挙げて協賛して行った。
だから、原作者やアニメ監督の権限も埋もれて行き、編集局や製作委員会に
引け目を取るような事態までもが常態化することとなった。これは、
欲目に駆られて手塚のやり方に背いた後世の作家たちの自業自得だといえる。
鉄腕アトムの最終回(いくつかある) などもあえて無惨なものにしたという。
だから、膨大な名作の数とは裏腹に、手塚の作品は一つ一つを採って見れば
わりと子粒ぞろいな印象を受けるが、後世の作家たちはこれに倣おうとはしなかった。
手塚の弟子たちの作品である、鉄人28号や天才バカボンやドラえもんのような、
自身の作品のビッグネーム化のほうをより追い求め、数多の不審者が絡んでくる
キャラクタービジネスの肥大化にも諸手を挙げて協賛して行った。
だから、原作者やアニメ監督の権限も埋もれて行き、編集局や製作委員会に
引け目を取るような事態までもが常態化することとなった。これは、
欲目に駆られて手塚のやり方に背いた後世の作家たちの自業自得だといえる。
じゃあ、漫画アニメのより一層の低俗化を促すキャラクタービジネスの存在無くして、
今の日本の二次元文化の隆盛があり得たのかといえば、これも難しかっただろうといえる。
まず以って、戦後の日本文化がかなりの割合で漫画アニメ方面に傾いて行ったこと自体が、
黒澤明らが嘆いたような子供向け化なのだから、手塚みたいに作品の文学性や哲学性を
守ろうともせず、商業目的のなんでもありに全体が没入して行ったのも自然なことではある。
自分もそれなりに好き好んで見て来た人間としてあえて言わせてもらうが、
やはり漫画アニメも根本的に低俗な文化であることには違いないのである。
いくらそれが魅力的なのだろうとも、世の中全体の低俗化の波に揉まれながら
育まれてきた「文化人の逃げ道」であるには違いないのだから、打開できるのならすべき所。
そのためには、スポーツやお笑いの如きメインカルチャーとの「両成敗」こそが不可欠となるが。
今の日本の二次元文化の隆盛があり得たのかといえば、これも難しかっただろうといえる。
まず以って、戦後の日本文化がかなりの割合で漫画アニメ方面に傾いて行ったこと自体が、
黒澤明らが嘆いたような子供向け化なのだから、手塚みたいに作品の文学性や哲学性を
守ろうともせず、商業目的のなんでもありに全体が没入して行ったのも自然なことではある。
自分もそれなりに好き好んで見て来た人間としてあえて言わせてもらうが、
やはり漫画アニメも根本的に低俗な文化であることには違いないのである。
いくらそれが魅力的なのだろうとも、世の中全体の低俗化の波に揉まれながら
育まれてきた「文化人の逃げ道」であるには違いないのだから、打開できるのならすべき所。
そのためには、スポーツやお笑いの如きメインカルチャーとの「両成敗」こそが不可欠となるが。
日本で、一般的に「文化人」と呼ばれているような連中が
いかにも薄っぺらい人種ばかりで占められているのも、
命をかけて創作に励むような本物の文化的素質の持ち主が、
みんな漫画アニメの方面に没入してしまっているからである。
漱石や芥川や三島なみに命を削って活動に取り組んでいるような文化人が、
文壇や論壇ではなく、漫画家界隈やコミケ界隈にこそ今でもいる。
(実際に過労で早逝しているような人間も無数にいる)
どうしてそんな体たらくであらねばならないのかを説明しようにも、
あまりにも多くの複合要因があるために一言二言で論破はできないが、
一番の原因は、高尚な文化性を理解できる消費者があまりにも減り過ぎたことである。
漫画アニメなんてあくまでサブカルでしかなく、体育会系のためのスポーツや、
陽キャのためのお笑いバラエティのほうがメインカルチャー扱いされているからには、
知性を損ねる低俗化の元凶となって来たのもあくまで「メイン」のほうと見るべき。
文学ですら、本来は「経史子集」の序列の中の「集」に相当する低劣なもの。
その文学すらもが、より低俗化しなければ需要先を失うという現代社会の実相。
人間の知性の底の低さを侮ることなく、神妙な改善に取り組んで行くべきだといえる。
いかにも薄っぺらい人種ばかりで占められているのも、
命をかけて創作に励むような本物の文化的素質の持ち主が、
みんな漫画アニメの方面に没入してしまっているからである。
漱石や芥川や三島なみに命を削って活動に取り組んでいるような文化人が、
文壇や論壇ではなく、漫画家界隈やコミケ界隈にこそ今でもいる。
(実際に過労で早逝しているような人間も無数にいる)
どうしてそんな体たらくであらねばならないのかを説明しようにも、
あまりにも多くの複合要因があるために一言二言で論破はできないが、
一番の原因は、高尚な文化性を理解できる消費者があまりにも減り過ぎたことである。
漫画アニメなんてあくまでサブカルでしかなく、体育会系のためのスポーツや、
陽キャのためのお笑いバラエティのほうがメインカルチャー扱いされているからには、
知性を損ねる低俗化の元凶となって来たのもあくまで「メイン」のほうと見るべき。
文学ですら、本来は「経史子集」の序列の中の「集」に相当する低劣なもの。
その文学すらもが、より低俗化しなければ需要先を失うという現代社会の実相。
人間の知性の底の低さを侮ることなく、神妙な改善に取り組んで行くべきだといえる。
【レインボウ変態 丸】
河合ブタグロ撒き散らすアスペ
「おい、ばばぁ! 糞出るぞ!」
Voice「オムツ交換! スタンバイ!」「レッツゴー!!」
河合ブタグロ婆ァ撒き散らすアスペ爺ィ
「おい、ばばぁ! 臭くてたまんねぇーだろ!」
介護の老母「ゴホッ! ゴホッ!」
MC「おぉーっと!」「ここで河合ブタキモ婆ァことナオタン登場であります( ̄∇ ̄*)ゞ」
河合ブタ撒き散らすアスペ
「ナオタン発見??d=(^o^)=b」(ブリブリブリッ!)
介護の老母「うわぁっ! クセェよ!!(>.<)y-‾」
ナオタン「大丈夫!?」
河合ブタグロ撒き散らすアスペ「全くだよ」
介護の老母「そっちかい(*`Д´)ノ!!!」
「バカジャネーノ!!!(`Δ´)」
河合ブタグロ撒き散らすアスペ
「おい、ばばぁ! 糞出るぞ!」
Voice「オムツ交換! スタンバイ!」「レッツゴー!!」
河合ブタグロ婆ァ撒き散らすアスペ爺ィ
「おい、ばばぁ! 臭くてたまんねぇーだろ!」
介護の老母「ゴホッ! ゴホッ!」
MC「おぉーっと!」「ここで河合ブタキモ婆ァことナオタン登場であります( ̄∇ ̄*)ゞ」
河合ブタ撒き散らすアスペ
「ナオタン発見??d=(^o^)=b」(ブリブリブリッ!)
介護の老母「うわぁっ! クセェよ!!(>.<)y-‾」
ナオタン「大丈夫!?」
河合ブタグロ撒き散らすアスペ「全くだよ」
介護の老母「そっちかい(*`Д´)ノ!!!」
「バカジャネーノ!!!(`Δ´)」
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