日本では 体育会系>障害者>0>文化系 ならしい 国を挙げて知性の欠如を奨励する


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001 2020/01/10(金) 03:44:09 ID:EhIvwXMVHE
個人的にどうでもいい、知性に欠ける体力馬鹿の賑わい程度にしか考えていない
2020東京オリンピックが、この年末年始から拍車をかけて囃し立てられ始めている。

マスコミだけでなく、日本政府もこれを「国民の祭典」と位置づけ、
大規模な競技場や選手村の建設のほか、開催中は都心全体に交通等の規制を敷き、
世界最大の屋内イベントであるコミケもゴールデンウィークに前倒しさせるなど、
全国民総力を挙げての協賛を有無を言わさず強制する事態となっている。

ここまででまず分かるのが、現代の日本社会のヒエラルキーは絶対的に 体育会系 > 文化系 であるということ。
体育会系の活動の前では、全ての文化系は道を譲らねばならず、 居てもいなくてもどうでもいい、
むしろ眼中から消えて欲しいぐらいな、存在価値0未満の扱いを受けるということ。

そしてもう一つ。
近年はバリアフリー化の観点から、障害者のためのパラリンピックも
オリンピックに並ぶ祭典として半ば義務的に盛り上げられている。
しかし、このパラリンピックも所詮はただの大運動会でしかない。
ただ体育会系を志している障害者だけを限定的に、体育会系の健常者並みに扱おうとしているだけ。

つまり、日本社会におけるヒエラルキーは
 体育会系 > 体育会系の障害者 > 0 >文化系
ということである。

これが日本政府公認、大マスコミ奨励の社会的差別。
オリンピック・パラリンピックの礼賛がどうにも浅ましく感じられる原因でもある。

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026 2020/01/14(火) 11:06:25 ID:8mXu55/U/U
日本で、一般的に「文化人」と呼ばれているような連中が
いかにも薄っぺらい人種ばかりで占められているのも、
命をかけて創作に励むような本物の文化的素質の持ち主が、
みんな漫画アニメの方面に没入してしまっているからである。

漱石や芥川や三島なみに命を削って活動に取り組んでいるような文化人が、
文壇や論壇ではなく、漫画家界隈やコミケ界隈にこそ今でもいる。
(実際に過労で早逝しているような人間も無数にいる)

どうしてそんな体たらくであらねばならないのかを説明しようにも、
あまりにも多くの複合要因があるために一言二言で論破はできないが、
一番の原因は、高尚な文化性を理解できる消費者があまりにも減り過ぎたことである。

漫画アニメなんてあくまでサブカルでしかなく、体育会系のためのスポーツや、
陽キャのためのお笑いバラエティのほうがメインカルチャー扱いされているからには、
知性を損ねる低俗化の元凶となって来たのもあくまで「メイン」のほうと見るべき。

文学ですら、本来は「経史子集」の序列の中の「集」に相当する低劣なもの。
その文学すらもが、より低俗化しなければ需要先を失うという現代社会の実相。
人間の知性の底の低さを侮ることなく、神妙な改善に取り組んで行くべきだといえる。

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