敗戦コンプレックスと「故人バイアス」の呪縛


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001 2019/09/16(月) 18:11:07 ID:vUh3EZnFpg
近年、SNSの普及と共に、日本人のクレーマー体質の激化が目立って問題化している。
人の落ち度をどんなに軽度でも許さない心の狭さは、単なる正義感を大幅に逸脱した、
畜生のストレス解消にも等しい妄動として見る者の眉をひそめさせる。

その背景にあるのが、一つには敗戦コンプレックスからなる慢性的な鬱屈である。
これは気づいている人間も多い所で、今さら新たに提起するほどの論題でもない。

もう一つの原因が「故人バイアス」とでも呼ぶべき心理現象であり、こちらのほうが
むしろここで論じたい主題であると同時に、現代の日本人にこそ際立って見られる問題である。

敗戦コンプレックスのほうは、戦後すぐの頃から全ての日本人にのしかかって来たものだが、
当時まだ存命中の戦前世代が数多くいたものだから、「日本人たるもの恥ずべき
振る舞いをしてはいけない」という同調圧力が強くて、まだ誇りある人々も多かった。

それが今や、戦前世代もほぼ死に絶えてしまい、故人である先人たちの事績を本気で
敬い倣うことを憚る故人バイアスも相まって、誇りある振る舞いの心がけも絶えてしまった。

三島由紀夫が1970年にあんな時代錯誤なテロ行為に及んだのも全くの奇矯ではなく、
舩坂弘氏のような本物の英雄とも親交があり、孫六兼元を贈られるようなこともあったからである。
今の日本人はもうそんな相手がいないから、三島の心境を察することもできやしない。

敗戦コンプレックスは時代を重ねるごとに和らぐどころから、むしろ故人バイアスという
小市民じみた性向によって強化されることとなってしまったからこそ、今があるのである。

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002 2019/09/16(月) 18:59:28 ID:vUh3EZnFpg
「故人バイアス」に相当する心理現象は、はるか昔、
2300年前の中国でもすでに確認されている。

「舜も人、吾れもまた人なり」
(孟子・滕文公章句上)

当時の視点から見ても1500年以上前の古代の偉人である堯舜禹らの事績を
しきりに褒め称える儒者の姿勢を、時の権力者や市民たちも白い目で見ていた
ことに対して孟子が反論した言葉。このような言葉を述べざるを得なかったのも、
当時の人々が故人の偉業などには到底学ぶ気になれない故人バイアスに囚われていたからである。

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003 2019/09/16(月) 19:19:33 ID:vUh3EZnFpg
だいたい、汚濁にまみれた乱世かつ、偉大な時代を知る人間が古老としても
死に絶えてしまったような時代に、故人バイアスに囚われた人間が続出する。

今の日本こそはまさにそれであり、江戸時代以前の写真も残っていないような
武士や武将はおろか、一応はほんの近ごろまで存命だった舩坂弘氏や
小野田寛郎氏のような歴戦の英雄にすら、思いを致すことができない。

特上に頭のいい人間はみんな医者に、体力のある人間はみんな野球選手にでもなって
個人的な富裕を謳歌する一方、歴史的には無名のボンクラなままで人生を終えるという、
どんなに上を目指そうとも天井の高さが犬小屋ぐらいでしかない世の中で、底辺の庶民
だけでなく、最上級の権力者や金持ちといえども日本人としての誇りなどは抱かない。

人が歴史的に最大級の名声を挙げる手段ともなる政治や軍事がアメリカに頭を
もたげられている手前、なかなか日本に偉人が現れないのも自明なことだが、
昔の偉人の業績に崇敬を抱いてあやかろうとすることすらをも放棄してしまうのは、
故人もまた確かにこの世に実在していたことをも解さない小人ならではの悲哀だといえる。

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004 2019/09/16(月) 19:50:55 ID:vUh3EZnFpg
故人の歴史的な実在を認知することができず、
その意思を汲んだり魂を受け継いだりすることができないのは、
仏教でいうところの「畜生道」の所業である。

犬猫牛豚その他の禽獣は、すでに亡き先祖の歴史的実在など解さない。
それ故に当代限りでの本能ありきな生き方に終始する。

人間の重度知的障害者にも劣る禽獣の知能ではそうでしかあり得ないが、
健常者の人間はそうではない。心がけのしようによっては昔の偉人なみの
心象に至ることも可能なのに、それをしないから蔑むべき畜生道の徒輩となる。

今の日本人などは、それ以外に誇りを取り戻す手段などがないのだから、
これこそが一世一代の大関門ともなっている。まだ誰も気づいてすらいないが。

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005 2019/09/16(月) 21:13:08 ID:vUh3EZnFpg
たとえば、徳川八代吉宗が活躍した江戸時代中期にもすでに、戦国時代の
群雄割拠の気風を直接存知していたような世代はすでに絶えていたはずである。

しかし、その時点でも古人の偉大さを尊ぼうとする風潮が旺盛であったこと、
まだそこまで大昔でもない元禄赤穂事件における義士たちの奮闘への崇敬などにより、
乱世への傾きが是正されて、天下の泰平も守られ続けて行ったのだった。

だから江戸時代も260年に渡って続き、それ以降も外界からの
侵害さえなければ存続して行けたぐらいの安定があった一方で、
今の日本社会ともなれば、80年やそこらで瓦解しようとしている体たらく。

故人の知恵からも学べるぐらいの真摯さが欠けているからなだけであって、
決して新たな戦争を必要としているからなどではないし、
おそらくそんな手立てでは余計に不届きさを助長するだけであろう。
暴れん坊将軍が自作自演のテロ一つ必要としなかったことからもわかるように。

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006 2019/09/16(月) 22:08:02 ID:IgcwHYx82Q
これはこれは逃地蔵さん
故人バイアスなる造語からの過大な妄想ご苦労様
語ってる事は一理あると思うのでここいらでまた
スレを捨てれば支離滅裂にならずに美しいですよ

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007 2019/09/16(月) 22:21:12 ID:lpO53jMGqY
>>1〜5
何を議論したいんだろ?

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008 2019/09/16(月) 22:34:16 ID:vUh3EZnFpg
>>6
捨てて逃げることだけが美観を保つ唯一の手段だとおまえ自身が認めるのか。
世知辛い世の中じゃのぅ〜

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009 2019/09/16(月) 22:38:50 ID:IgcwHYx82Q
>>8
ん?このスレに対して言えばそうなりますね
私ではなく逃げるのはあくまでも>>1がです
読解力がないんですか?頭が悪いんですか?
いや失礼容姿が悪いんでしたね

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010 2019/09/16(月) 23:41:01 ID:DE5wPKVB2Q
(鎧袖一触のささやき)

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011 2019/09/17(火) 14:00:55 ID:l44HJe6M12
敗戦コンプレックスと故人バイアスの板挟みによって、
完膚なきまでに誇りを失ってしまっている今の日本人の心理状態を
一言で表すなら、「絶対消極」とでもいうべきか。

中村天風氏が、己が哲学の基本姿勢として提示していた「絶対積極」の真逆。

別に、絶対積極だからといって全くネガティブなことを考えないとか言わないとかではない。
必要とあらば事物の負の側面への考究や言行も試みるが、心中では常にポジティブであり続ける。

今の日本人はこの逆で、人付き合いなどの目的があって便宜的に明るい振る舞いを
することはあっても、心中はいつでもネガティブさに囚われている、だからこそ生の本音が
そのまま露呈される匿名ネットなどが特に、陰湿な発言の貯蔵庫とも化してしまっている。

生理中や更年期障害の女などがそんな精神状態に陥ってしまうのは昔からあることだが、
男を含む全日本人がそうなってしまっているのは、きわめて稀有な惨事である。

ちょっと明るい思考や言行を心がける程度では務まらない、心中からのポジティブさの養生。
今の日本人にとっては、かつて並みの誇りを取り戻すことだけがその手段に該当する。

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012 2019/09/17(火) 14:32:21 ID:l44HJe6M12
実際問題、人間という生き物は断じて「我思う、故に我あり」ではなく、
思考や言行といった情報とはまた別個の真我とでも言うべき心中がある。

その心中の部分がネガティブに囚われていたのでは、
どんなにポジティブな思考や言行を心がけたところで、積み上げたそばから崩れて行く石積みとなる。
しかし、心中こそがポジティブさの塊であれば、
どんなにネガティブな思考や言行を試みたところで、掘り下げたそばから埋まって行く穴となる。

今の日本では、ポジティブを心がけている人間ですら前者でしかなく、
明るい振る舞いで心も明るくなろうとしては、躁から鬱にまた振り切れる徒労を繰り返している。
精神科医やカウンセラーもその程度の療法ぐらしか奨められないから、余計に病状を悪化させてしまう。

言行どころか思考とも必ずしも一致しない、心中そのもののポジティブさを獲得すること。
日本人としては、故人バイアスから脱却して昔の偉人たちにも心からの崇敬を抱き、
その魂の継承者となった自分自身の誇りまでもが培われることが最善の手段となる。

他の方法があるというのならぜひ教えてもらいたいが。
ヨガや武道の修練も上の方法が伴うのでなければ全くの無効となってしまうのはすでに確認済みだぞ。

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013 2019/09/17(火) 18:40:41 ID:sGLtn0taHw
それあなたの感想ですよね
なにかそういうデータあるんですか?
なんだろう。ウソつくのやめてもらっていいですか。

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014 2019/09/17(火) 19:15:02 ID:l44HJe6M12
思考や言行の表面的なポジティブさがベクトル量aなら、
思考や言行とも無縁な、心中の真我からのポジティブさはスカラー量mのようなもの。

今はとかく、表面的なポジティブさaを取り繕うことで心の健全さFを養おうとばかり試みられているが、
心中のポジティブさmが不足している以上は掛け合わせで帳消しになるし、
やりようによってはより一層のネガティヴさすらをも患ってしまう。

人間、何も考えないことも、話さないことも動かないこともいくらでもあるが、
生きてる限りにおいては体重があったり、呼吸をし続けたりするのと同じように、
心中の真我こそは遍在するものであり、こちらのポジティブさを養うことのほうがずっと大切なことである。

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015 2019/09/17(火) 19:27:51 ID:l44HJe6M12
近年の俗語でいうところの「陽キャと陰キャ」でいえば、
むしろ陽キャ(ラ)のほうが心中のネガティブさを表向きのポジティブさで
取り繕おうとしている部類の人種である。

まず、女が先天的にそういう部類の人種であり、
陽キャの男もその点が共通するから気が合い、モテる。
特に程度がひどい連中はDQNなどとも呼ばれるが、やはりそこにも付いていく女がいる。

特にオタクなどに多い陰キャのほうがむしろ、
心中のポジティブさで満足できているものだから、
表向きの明るさなどをろくに取り繕おうともしなくて女に嫌われたりもする。

日本人はむしろ、そういう意味での陰キャ男大国だったのが、
敗戦コンプレックスと故人バイアスの蔓延という社会的風潮によって劣勢に立たされ、
今や陽キャの男には何も敵わない下っぱか何かのように扱われるまでになってしまった。

ことさらに陰気な振る舞いなどが肯定されて然るべきというわけでもないが、
心中の地金の強さゆえに殺伐とした領域への没入を恐れない男の強さが
見直されることはあるべきだし、それこそが日本社会の復興の鍵ともなるであろう。

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016 2019/09/17(火) 19:49:51 ID:l44HJe6M12
三島が舩坂氏に送られた孫六兼元もそうだし、
その兼元と並んで美濃伝最高峰の双璧とされている和泉守兼定や、
新刀の上位工である津田助広、和泉守国貞、越後守包貞など、
日本刀の刀工には何代にもわたって名代を継承していた流派が存在する。

そして、今挙げた五派の刀工すべてに共通しているのが、
みな「二代目」の作品が最高傑作とされている点である。
(和泉守国貞の二代目は井上真改)

初代が新たな作風の刀の隆盛を試みて試行錯誤を繰り返すも、
その作風の真髄を極めるとまでは行かず、二代目以降がやっと完成形を見るに至る。
これなども、故人バイアスによって代々の精神性の継承を打ち棄てて
かかっていたようでは、決して成し得なかったことである。

昔からやってきたことを引き継ぐためでなく、新たな事業を成功に導くためにすら、
時には故人バイアスに囚われない普遍的な歴史感覚が必要となる。

正宗だって、粟田口国綱→新藤五国光→五郎入道正宗という系譜の引き継ぎがあって
初めてその作風が醸成されたというのだし、歴史的に名高い功績を挙げるのならば、
新規と言えども一代限りの栄華などでは済ませない心がけが必要になるのである。

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017 2019/09/17(火) 20:03:19 ID:l44HJe6M12
今の日本で故人バイアスに全く囚われていない人間などは皆無に等しいが、
特に今の年功序列で最上位にある団塊世代こそが、もっともその程度がひどい。

元々が、人口が多すぎて教育が行き届かずADHD気味に育ってしまった人間が多い上、
そのそそっかしさを年がら年中年上の戦前世代に見咎められてきた境遇でもある。
そのため戦前世代が世の中から引退し去ったのをこの世の春と羽根を伸ばし、
まさに傍若無人を絵に描いたような振る舞いを好き好んでなし始めたのだった。

俺の知っているところでも、戦前世代の高名な師範が亡くなった途端に、
その教えを打ち棄てて全く別のことをやり始めた団塊の武道家とかがいる。
巷では「新し物好き」なんていう言葉で片付けられたりもすることだが、
新し物好きだけに関していえば団塊よりも下の新人類世代などのほうが著しい。
伝統を重んじる武道のような趣味があっても、故人バイアスによる過去の教えの
切り捨てを躊躇えないのは、新人類以上の症状の重さ故ではないかとも思われるわけである。

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018 2019/09/18(水) 19:23:11 ID:iR7DFqj30I
>>14画の運動方程式 ma=Fを心のあり方により厳密に当てはめてみるなら

m=純粋精神からの心中そのもの(性)のポジティブさ
a=思考や発言や行動(情)のポジティブさ
F=心の総合的な健全さ

14で述べた通り、思考や言行(a)がポジティブだったところで、
心中そのもの(m)がネガティヴであるようなら割れ甕に水を汲む体たらくとなる。

mの養生のために、aを最小限に抑えるとするならば、それでも残るaこそが「呼吸」である。
座禅状態の呼吸でaを平静化することで、mを最大限ならしめようとするのが座禅修行でもある。

座禅もまた一つの方法であるかも知れないが、禅問答こそは故人バイアスを解除する
自己暗示の宝庫ともなっているし、結局俺が訴えている方法ともさして変わりはしない。

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