スポーツの精神的弊害


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001 2019/05/14(火) 12:33:36 ID:S8lwhqI/96
基本的に、スポーツというのはやればやるほど、好めば好むほど、
勝負というものが人の生死に直結する感覚がわからなくなる。

スポーツである以上は勝負が付き物だが、ほぼすべてのスポーツが
ルール規定や選手への社会保障によって、敗者が死傷する危険を排除している。
F-1のような危険極まるスポーツであっても、死者が出るのは事故やルール違反が
あった場合であり、選手が試合に負けたからといって死ぬわけではない。

しかし、現実の社会における勝負には、人の生死が付き物である。
戦争やヤクザの抗争のような直接的な殺し合いだけでなく、商戦や株取引によっても
敗者が破産して一家離散、挙句に首吊りや電車への飛び込みにまで陥る場合がよくある。

にもかかわらず、勝負が生死に直結する感覚が麻痺している体育会系などを
就職で優遇すれば、社会的な勝負による死傷者の増大がより激化することとなる。

特に、商社系の企業などは体育会系を好んで採用する傾向が強いようだが、
その商社こそが、系列コンビニのFC店長を過労死や自殺に追い込んでいたりもする。
(ひどい場合には儲かっているFC店の直近に直営店を開くような真似までするという)

アメリカなどでも、大学フットボールの選手などが優遇されているようだが、
日本においてもスポーツマンの優遇による世相の荒廃が招かれてからすでに久しい。
いい加減、体育会系ならではの頭の悪さがこの世にもたらす弊害を認知して、
就職面などでの優遇に歯止めをかけて行くべきなのではないかと思われる。

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