この人達は本当に実在するのか?
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001 2019/02/11(月) 18:52:45 ID:R3SCzfmAew
私は今、渋谷スクランブル交差点に立っていて、画像の景色を見ている。
多くの人が歩いている。
がしかし、このビジョンは私の脳内で合成されたビジョンを見ているに過ぎない。
仮に、私が死んだ場合、私の脳内で歩いている多くの人も消えてなくなる。「死ぬと他人を認知できなくなるから他人は消えるが実際他人は存在している」のではなく、
脳内ワールドに他人が存在してるだけなので、脳が死ぬ時点で宇宙ごとすべて消えるのではないか。
ということから、私という人物のみが生きており、その脳内で地球や日本、他人がが存在してるだけで実際は他人など居ないのではないだろうか?
壮大な夢を見ているというか。
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002 2019/02/11(月) 19:17:49 ID:dhqy0q0Y12
003 2019/02/11(月) 19:32:37 ID:.4Wc485kTA
今君は2019年ごろの日本にいる設定だが実際は今20200年くらいだ
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004 2019/02/11(月) 20:06:29 ID:VigYyHdbDM
唯識
唯識とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。
ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個
人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。
あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、
時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。
瑜伽行唯識学派では、深層意識の阿頼耶識が自分の意識も外界にあると認識されるものも生み出していると考え(唯識無境)、最終的には阿羅耶識もま
た空であるとする(境識倶泯)。
つまり、その識(心の作用)も仮のもので夢幻の存在(空)であるとして否定するのである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%9...
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005 2019/02/11(月) 21:04:02 ID:55mBCYV2lU
さみしい時は強がらないで親しい人に頼りなよ
腹も減れば、切られたら血を流す
明けない夜はないし、屁は臭い
暇なんやろかね?
餓死寸前まで行って、救急要請したら他人の存在に気が付くんちゃう
最後にその手で傷つけたものは遠くから愛してた二つの心
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006 2019/02/11(月) 21:58:58 ID:Crcovguq2k
007 2019/02/11(月) 22:28:16 ID:KLq6MMpAK6
ハロウィーンの期間中、痴漢で現行犯逮捕されたサラリーマンは、
>>1の語りを話の糸口に、犯行時の心境を訥々と述懐しはじめた。
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