近年では、1950〜60年代に人気を博していたような
有名人がまだ生きてたり死んでたり、
ちょうど訃報が届いたりする境目にある。
ファンにとっては長生きしてくれるに越したことはないのだろうが、
そこまで思い入れのない人間にとっては、とっくの昔に亡くなって
評価が固定されている相手以上に不安な存在となる。
アレサ・フランクリンのように紛う方なきソウルレジェンドでありながら、
専門外な政治関係にも中途半端に踏み入って、オバマの招いたパーティで
ぶっとい二の腕を晒してる姿を見たりすると、マーヴィン・ゲイ等のように
さっさと死ねばよかったのにとまで行かずとも、もう少し粛々とした
老後を送ってくれれば良かったのにと思えてしまう。
大きな業績を挙げた人間にとっては、むしろ自分の死こそが業績の完成となる。
その業績もまた個々の命に限りある人々を喜ばせたり幸せにしたりしたが故の
業績なのだから、死を全否定することは己れの業績を否定することにも繋がる。
そんな業績など自分にはないから死を恐れるということもある。
死を我が天命の成就の時として待ち焦がれられるほどの偉業を
果たすこともまた、死への恐れを乗り越える手段としては格好だと言える。
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